「エリック・クラプトン」の版間の差分

[[1970年代]]には[[薬物依存症]]、[[1980年代]]には[[アルコール依存症]]、[[交通事故]]、[[胃潰瘍]]、愛妻パティ・ボイド(親友でもある元[[ビートルズ]]の[[ジョージ・ハリスン]]の前妻)との別離を経験。
 
[[1990年代]]初めには、[[イタリア]]人女優ローリ・デル・サントとの間にもうけた初めての子供コナーが[[ニューヨーク]]の高層マンションの窓から転落死した。更にその才能を認め、弟の様に面倒を見ていたギタリストであり、エリック同様アルコールやドラッグ禍に苦しんだ為に、親身になってアドバイスを行う等のサポートを行っていた[[スティーヴィー・レイ・ヴォーン]]が、彼と共にツアーを行っている最中、ヘリコプターの事故によってこの世を去ってしまった事も彼にとって精神的に大きな痛手となった。しかし数々の災難に遭い人生の辛酸を味わったがそのたびに立ち直り、そうした経験を糧にますます演奏に奥行きを加えて、世界の第一線のミュージシャンとして活躍を続けている。かつての多くの音楽仲間が薬物で命を落とし、あるいは加齢とともに音楽活動から遠ざかる中で、生き残ったクラプトンが1980年代末ごろを境に音楽活動に再び本気で取り組みはじめた意義は大きい。
 
[[1991年]]、自らのバンドを従え、ジョージ・ハリスンのバックバンドに徹して参加し、日本だけのツアーを敢行。途中、ジョージの休憩を兼ねて、自らの楽曲を演奏するコーナーもあった。ジョージの世界ツアーの呼びかけに対して、亡くなった自分の息子の為の楽曲の録音をツアーの為にキャンセル。ジョージとしては、これが最後のライヴツアーとなった。そして亡くなった自分の息子に贈った歌が名曲「[[ティアーズ・イン・ヘヴン]]」(''Tears In Heaven'')である。なお、この曲は[[1992年]]に全米シングルチャート第2位を記録している。さらに[[1993年]]には年間最優秀曲に選ばれ、この歌が収録されたアルバムも最優秀アルバム賞を獲得。
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