「マクシム・サブーロフ」の版間の差分

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=== 反党グループ事件 ===
[[1957年]]6月党幹部会([[ソ連共産党政治局|政治局]])が緊急に召集され、フルシチョフ第一書記に対して解任動議が出される。非スターリン化を推進するフルシチョフに反発を深めたマレンコフ、[[ヴャチェスラフ・モロトフ]]、[[ラリ・カガノーヴィチ ]]らが中心となったこの一件は「[[反党グループ事件]]」として知られるが、サブーロフもマレンコフらに同調し、幹部会でフルシチョフ解任動議に賛成した。結局、中央委員会総会で巻き返しに成功したフルシチョフによってマレンコフ、モロトフ、カガノーヴィチの蠢動は潰え、サブーロフも第一副首相を解任された。
 
権力闘争に敗北したサブーロフは自己批判を強いられ、[[経済相互援助会議]](コメコン)副議長を短期間務めた後、[[サマラ州|サマーラ州]]の都市[[シズラニ]]の工場長に左遷され、[[1966年]]までその職にあった。
 
== 参考文献 ==