「アメリカンフットボール」の版間の差分

 
{{節stub}}
=== 日本における発展 ===
日本では、[[岡部平太]]が1917年(大正6年)留学先の[[シカゴ大学]]でスタッグ教授よりバスケット・水泳・陸上競技と共にアメリカンフットボールを学んだ。実際に岡部は大学や近くのクラブチームでプレーを経験した(シカゴの地元新聞に顔写真付きの記事がある)。
 
日本で岡部[[岡部平太]]が19171920(大正6年)留学先の[[シカゴ大学]]でスタッグ教授よりバスケット・水泳・陸上競技と共にアメリカンフットボールを学んだ。実際に岡部は大学や近くのクラブチームでプレーを経験し(シカゴの地元新聞に顔写真付きの記事がある)、1920年(大正9年)に帰国すると、陸上競技コーチに就任した[[第一高等学校 (旧制)]]の「陸上運動部」や、[[東京高等師範学校]]附属中学校(現・[[筑波大学附属中学校・高等学校]])の学生らにアメリカンフットボールを教えた。3チームが結成され、練習試合も多く行われたらしいが、翌年に岡部が新設の[[水戸高等学校 (旧制)]]に赴任したことや、当時は国内にボール製造メーカーが無く、輸入も難しかったこともあり、本格的な継続活動には至らなかった。
また、岡部は1925年出版の自著「世界の運動界」の中で、日本で最初と思われるアメリカンフットボール解説を書いている。
 
匿名利用者