「川島堅」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
29行目:
[[東亜学園高等学校|東亜学園]]時代は1987年の甲子園大会では理想的なフォームで34イニング連続無四球という優れた制球力に加え、伸びのあるストレートとキレのあるカーブを武器にベスト4まで進出した。
 
当時のドラフトで[[伊良部秀輝]]、[[野村弘樹|野村弘]]、[[上原晃]]、[[盛田幸妃]]といった同期の中でNo.1の逸材と評され、[[阪神タイガース]]・[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]・[[広島東洋カープ]]の三球団からの1位指名を受け、抽選の結果広島へ入団。(外れ1位で阪神は[[野田浩司]]、近鉄は[[高柳出己]]を指名。)
 
抽選の結果、広島へ入団。高卒新人ながら即戦力として期待されたが、プロ入り後は伸び悩み、ピッチングフォームの変更による肘の故障にも見舞われ、大成することはなかった。1994年に広島から戦力外通告を受け退団。1995年には当時広島カープと業務提携していた台湾プロ野球の時報イーグルス(現在は解散)に移籍。同年引退。その後、[[柔道整復師]]の資格を取得し、2001年から東京都[[武蔵野市]]に武蔵境中央整骨院を開業、現在は院長を退いている。スライダー、フォークが武器。
 
== 通算成績 ==