「ポロス (古代インドの王)」の版間の差分

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その後ポロスはアレクサンドロスの重要な同盟者としてヒュパシス川(現在の[[ベアース川]])までの地域の平定に協力し、アレクサンドロスが撤退した後にはこの地域全土を与えられた。またアレクサンドロスの仲介によってタクシレスとの講和が成立した。
 
程なくアレクサンドロスがインダス地方を委ねた総督太守[[フィリッポス (マカタスの子)|フィリッポス]]が反乱で殺されたため、アレクサンドロスはインドに残した代官[[エウダモス (太守)|エウダモス]]とタクシレスに書簡を送り、追って正式の総督を任命するまで両人が協力してこの地域を統治するように命じた。しかし[[紀元前323年]]にアレクサンドロス大王が急死し、その後帝国の支配を争った[[ディアドコイ]]たちがは主に小アジアおよび二次アジアに目を向け、そこを主戦場とし、遠隔のインド地域を事実上棄し置されたため、エウダモスとタクシレスの支配は既成事実となったまま推移した。[[紀元前321316年]]にはシンド総督で名目上エウダモスとタクシレスの上位者であった[[ペイトン (アゲノルの子)|ペイトンが]]インダス東岸から撤退したため、これ以後のパンジャブの情勢はほとんどわからなくなる。
 
ポロスのその後は明らかでない。[[シケリアのディオドロス・シクルス]]の『[[歴史叢書]]』によれば、[[紀元前317年]]に[[カルディアのエウメネス|エウメネス]]に加勢すべくインドを去ったエウダモスが、出立にあたってインドの有力諸侯の一人ポロスを殺害していったその領地いうところから、こ軍を手に入をポた(シケリアのディオドロスと見る見解が学界で有力であるが、なんら確証はない, 『歴史叢書』, XIX, 14)。いずれにせよ紀元前305年に[[セレウコス1世]]と[[マウリヤ朝]]の[[チャンドラグプタ]]がインダス流域で遭遇するときには、すでにポロスの王国が消滅していたのは確かである。
 
==ポロス=パルヴァータカ王?==