「ポロス (古代インドの王)」の版間の差分

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'''ポロス'''(?-[[紀元前4世紀317年]])は古代[[インド]]の王の一人である。[[ヴェーダ]]時代のパウラヴァ族の末裔という説もある。なおポロスとはこの部族の王の称号であり、いわゆるポロス王の個人としての名は明らかでない。[[パンジャブ]]東部を支配する有力者であったが、[[紀元前326年]]に[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス大王]]に敗れた。
 
==経歴==
===アレクサンドロス大王との遭遇===
ギリシア系史料によれば、[[紀元前327年]]に[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス大王]]がインド西北部に侵入した当時、この地域には3人の有力者がいた。ひとりは[[インダス川]]上流の[[タクシラ]]の王国を父から受け継いで間もないタクシレス(アーンビ王)であり、もう一人は[[カシミール]]地方を支配するアビサレス王、そして最後が東部[[パンジャブ]]のポロス王であった。
 
当時ポロスの領土は[[インダス川]]の支流のひとつヒュダスペス川(現在の[[ジェールム川]])からアケシネス川(現在の[[チェナブ川]])にいたる肥沃な地域にあり、ギリシアの記録によれば[[騎兵]]4千、[[歩兵]]5万、[[チャリオット|戦車]]300、[[戦象]]200を動員できたという。ポロス自身は身長2メートルを越す巨人で、勇猛並びない戦士であったとされる。
 
ポロスは長年タクシラの王と争っていた。そのためタクシラの新王[[タクシレス]]がいちはやく[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス]]に降ったことを知ると、カシミールのアビサレスと結んでマケドニア軍への抗戦を決定し、領国西境のヒュダスペス川でアレクサンドロスの侵攻軍を阻止することにした。
 
[[紀元前326年]]の夏のはじめ頃、アレクサンドロスはタクシレスらインドの同盟[[諸侯]]とともにヒュダスペス河畔に到達した。アレクサンドロスは対岸でポロス率いる大軍がマケドニア軍を待ち受けているのを知ったため、軍を河畔にとどめて戦機を探った。正面から渡河を強行するのは危険であるため、アレクサンドロスは騎兵を使って毎夜のように[[陽動作戦]]を展開し、ポロスの軍がそれに応じるのに疲れるのを待って、嵐の夜に少数の精鋭騎兵を率いて上流に迂回し、ひそかに川を渡った。
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[[Category:アレクサンドロス3世]]
[[Category:君主号]]
[[Category:紀元前317年没]]
 
[[ca:Porus (rei)]]