「ピーターパン (アメリカ合衆国の競走馬)」の版間の差分

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種牡馬としては一時[[フランス]]に売却されたが、その後[[ハリー・ペイン・ホイットニー]]に購買されてアメリカに戻り、以後1933年に死亡するまで[[ケンタッキー州]]のホイットニーファームで繋養された。死亡後その遺体は同場の一角に埋葬されている。
 
[[産駒]]は早熟傾向が強く、競走成績においては牝馬の方がより顕著な成績を残したが、牡駒も種牡馬となって成功を収め、特にペナント(Pennant)と[[ブラックトニー]](Black Toney)が多くの活躍馬を送り出した。2年連続のアメリカ年度代表馬を受賞したペナント産駒[[エクイポイズ]] (Equipoise)を筆頭に、一時その父系は広がりを見せたが、今日では衰退している。しかし[[ブルードメアサイアー]]としても大きな実績を挙げており、[[ファミリーライン|母系]]にその血統が受け継がれている。
 
アメリカでは1940年より、本馬を記念した重賞競走・[[ピーターパンステークス]]が施行されている。