「ディアドコイ戦争」の版間の差分

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== 第三次ディアドコイ戦争(紀元前314年-紀元前311年) ==
 
カッサンドロスはその後大王の妹テッサロニケと結婚していたが、紀元前310年にロクサネとアレクサンドロス4世を暗殺した。いずれもマケドニア王位を狙っていたためと言われている。また零落していたポリュペルコンがアンティゴノスの支援を受けて大王の庶子ヘラクレスと共にマケドニア入りを目指していたが、カッサンドロスはポリュペルコンに賄賂を贈りつつ説き伏せ、ヘラクレスとその母を殺させた。これによって大王直系の人間が全員死亡しただけでなく、王位継承権を持つのはカッサンドロスのみという状況になった。
 
小アジアからシリア・メソポタミア北部にかけてを支配したアンティゴノスだったが、その勢力があまりに強大であったために他のディアドコイとの対立が激化した。[[紀元前315年]]、バビロンのセレウコスがアンティゴノスを恐れてエジプトに逃れたことから事態は表面化し、アンティゴノスはギリシアに渡るための船を得るために[[歴史的シリア|シリア]]に進攻した。これによりプトレマイオスとの戦端が開かれ、翌年にはカッサンドロスの支配するギリシアに上陸し[[エーゲ海]]の諸島とペロポネソス半島の大半を制した。一方プトレマイオスはシリアに進攻、[[ガザ]]でアンティゴノスの息子[[デメトリオス1世 (マケドニア王)|デメトリオス]]の軍を破った([[ガザの戦い]])。この報を受けてアンティゴノスはギリシアからシリアに移動しプトレマイオスと対峙したが、プトレマイオスの支援を受けたセレウコスがバビロンに復帰したためセレウコス以外のディアドコイらと講和しセレウコスを攻撃した([[バビロニア戦争]])。しかし、セレウコスはアンティゴノス側の[[ニカノル (太守)|ニカノル]]を[[チグリス川|ティグリス]]河畔で奇襲し大勝するなど、アンティゴノスのバビロン攻撃を頓挫させた。