削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
11行目:
 
==子==
子については、魏の[[太祖]]武帝である曹操や共に殺害された曹徳(あるいは曹疾)の他に数名散見されるが、いずれも事蹟に乏しい。『魏書』「樊安公均伝」によると、薊恭公[[曹彬 (皇族)|曹彬]]、同じく『魏書』「東平霊王徽伝」によると、朗陵哀侯[[曹玉]]の名が見えるが、それぞれ曹操の子である[[曹均]]と[[曹徽]]を養子に迎えていたと記録されるのみである。また、『魏書』「夏侯淵伝」によると、曹操の弟である[[海陽哀侯]]とおくりなされた人物が確認でき、その娘が[[夏侯衡]]([[夏侯淵]]の長子)の正妻となっている。海陽哀侯についての記録は他に見えず、曹徳あるいは曹疾と同一人物か否かは確定できない。
 
<!--
19行目:
*[[曹徳]](『[[後漢書]]』「宦者伝」では父に付き従ったのは「曹疾」という名となっている。曹徳と同一人物の可能性もあるが定かではない)
-->
 
== 三国志演義 ==
『三国志演義』でも物語上の脚色がいくつか施されている点以外は正史とほぼ同様であり、陶謙の部下である[[張ガイ|張闓]]に殺害されることになっている。