削除された内容 追加された内容
Yakouhai (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
Yakouhai (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
7行目:
第二次ポエニ戦争中、マゴはハンニバルの[[イタリア]]遠征軍に加わり、主要な[[戦闘]]に参加した。[[紀元前218年]]の[[トレビアの戦い]]では、騎兵を率いて決戦前夜に森に埋伏し、当日は[[共和政ローマ|ローマ]]軍の後方を奇襲して勝利の一翼を担った。
 
[[紀元前216年]]の[[カンナエの戦い]]の直後、マゴは戦勝報告と増援要請のためにカルタゴ本国に帰還した。この時、兄の[[ハスドルバル]]が指揮する[[イベリア半島]]の戦線は、[[グナエウスコルネリウススキピオ|グナエウス]]、[[プブリウスコルネリウススキピオ|プブリウス]]のコルネリウス兄弟によって劣勢下にあった。そのため、カルタゴ政府は、マゴに援軍を率いさせてイベリアへ派遣した。その後、カルタゴ軍は少しづづ状況を好転させていった。[[紀元前211年]]、[[ベティスの戦い]]でカルタゴ軍はコルネリウス兄弟を戦死させた。
 
[[紀元前210年]]、[[大スキピオ]]率いる援軍がイベリアに到着すると戦況は一変し、カルタゴ軍は敗退を繰り返すようになった。[[紀元前209年]]、カルタゴ・ノヴァ(現[[カルタヘナ]])が大スキピオによって攻略された。[[紀元前207年]]、[[メタウルスの戦い]]でカルタゴ軍は大敗し、ハスドルバルが戦死した。[[ジスコーネ]]が指揮権を継承し、マゴはその指揮下に入った。[[紀元前206年]]、[[イリパの戦い]]でカルタゴ軍は再び大敗し、[[カディス]]まで後退を余儀なくされた。ほどなくマゴはカルタゴ本国へ逃げ帰った。