「ノート:ヤマト王権」の版間の差分

すごいこと言ってますね、ヤマト王権と大和朝廷は関係ないのですか?もしそれならそれこそ再改名して大和朝廷に戻さないとそれまで大和朝廷として記事編集してきた方に申し分が立ちませんね。あと貴方自身の考えが変わっていると言っているのではなく、省庁の使用した実例の貴方への理解がまた戻ったと言っているのですよ。
あと省庁が信用できる情報源ではないとの意見ですが、それには全く同意できません。--[[利用者:ささのは|ささのは]] 2009年7月29日 (水) 11:14 (UTC)
 
:まず基本的なことを述べますと、「ヤマト王権」ないし「大和朝廷」は歴史学上の概念です。ですので、ウィキペディアで「ヤマト王権」とか「大和朝廷」について執筆する際に一義的に重視されるべき[[信頼できる情報源]]とは、歴史学者の書いた論文になるわけです。このことについて、ご異議はないだろうと思います。
:ちなみに日本史学の基礎的教科書と呼ばれ、最も信頼できる情報源とされている『岩波講座 日本通史』や『日本史講座(東大出版会)』では、いずれも「ヤマト王権」の語が採用されておりました。
:一方、行政官庁は歴史学を研究する機関でも何でもありません。行政官庁のウェブサイト上で「ヤマト王権」なり「大和朝廷」なりについて論じられたとしても(それが信頼できる歴史学者の手によるモノであれば話は別ですが)「信頼できる情報源」にはなり得ません。ささのはさんが何をもって「省庁=信頼できる情報源」とされているのか、理解に苦しむところではありますが、その理由をご明示いただければ幸せます。
:ただ、行政機関をはじめとして、歴史学研究とは離れた立場では、「大和朝廷」の語が多用されておりますし、上田正昭先生という古代史の超大物学者が10年以上前とは言え、「大和朝廷」の語を自著書名に採用していることを考え合わせますと、「『大和朝廷』は今では使われていない」と書くと誤解を生むであろうことは確かです。「歴史学では、かつて『大和朝廷』が主流だったが、今では『ヤマト王権』が主流となっている。一方、歴史学から離れた立場からは今でも『大和朝廷』が多用されている」という趣旨の記述をしてもよいのではないかという気が今はしています。
:もちろん、歴史学においては「ヤマト王権か大和朝廷か」なんてことが議論に上ることはまずなく、「ヤマト王権と呼ぶべきか倭王権(又は倭政権)と呼ぶべきか」とか「欽明期以降の中央政治勢力は『朝廷』と呼びうるのではないか」「それは『ヤマト朝廷』と呼ぶべきなんだろうな」「それ以前は王権と呼ぶことでみんな一致してるよね」「いや、5世紀半ばに王権→政権へ移行したとオレは考えているよ」「確かに」「それを示すのが『人制』の導入だ」というような議論がメインに繰りひろげられてまして、本項でもそのような研究史をもっと記述すべきなのだろうと考えています。今いろいろ調べてる最中ですけれども。こういった建設的な議論をもっとしましょうよ!
:また「左派系学者はヤマト王権と言う言葉を使う」と仰られていますが、70年代までならいざ知らず、今は歴史学に左右の対立なんてないでしょう(歴史学の外部では対立があるようですけども)。印象操作は感心できませんよ。山尾幸久、吉村武彦、白石太一郎、熊谷公男、仁藤敦史、舘野和己、小林敏男らのうち誰が左派系学者なのか、出典付きでお示しくださいませ。--[[利用者:Shimoxx|shimoxx]] 2009年7月29日 (水) 15:14 (UTC)
 
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