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'''王党派'''(おうとうは)は、[[君主制]]の維持を主張する政治党派のこと。[[市民革命]]においては[[共和派]]と対立し、[[絶対王政]]と貴族制の維持を主張する。[[立憲君主制]]を目指す[[立憲君主派]]も広義の王党派に含まれることもある。[[国王]]が[[王権]]を強化する必須の勢力であり、また[[王政]]を維持し、正当化する理由にもなっている。ただし、必ずしも[[貴族]]のみが
== 各国の王党派 ==
=== フランスの王党派 ===
==== フランス革命期における王党派 ====
[[フランス革命]]期においては、[[ルイ18世 (フランス王)|プロヴァンス伯(ルイ18世)]]と[[シャルル10世 (フランス王)|アルトワ伯(シャルル10世)]]ら王族、あるいは[[絶対王政]]期の[[アンシャン・レジーム]]の
近い考えを持つ集団として、王政は認めるものの、これを議会のコントロール下に置こうとする[[立憲君主制|立憲君主主義者]](いわゆる[[フイヤン派]])が存在し、区別される。しかし[[ジロンド派]]や[[ジャコバン派]]などの共和派が絶対的な指導権を握った革命期においては、両者は共に攻撃の対象とされ、ほとんど区別されずに王党派という枠にくくられた。特に革命期の[[パリ]]では、王党派であることが発覚しただけで[[テロ]]の対象になることも珍しくなかった。
一方、革命期でも
==== 革命後の王党派 ====
フランス革命以後、主に[[ナポレオン・ボナパルト]]失脚後に生まれた[[ブルボン家]]支持者を'''レジティミスト'''と言う。また[[フランス7月革命]]で成立した[[ルイ・フィリップ (フランス王)|ルイ・フィリップ]]統治の[[オルレアン朝]]
=== スウェーデンの王党派 ===
==== ホルシュタイン=ゴットルプ王朝による王党派 ====
[[1772年]]、
[[1809年]]、[[グスタフ4世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ4世アドルフ]]がクーデターによって廃位された後、ホルシュタイン=ゴットルプ王家の断絶が決定的になると、一部の王党派は
==== フランス革命における王党派 ====
1789年にフランスで革命が起きると、グスタフ3世はこれに反発し、フランス王室に深い関わりを持つ貴族[[ハンス・アクセル・フォン・フェルセン]]を通じて[[反革命]]運動を起こしている。1790年に[[ロシア帝国]]との戦争を終結させると、グスタフ3世はさらにこれを推し進め、フランス亡命貴族([[エミグレ]])と連携し、[[反革命十字軍]]の設立を目指した。一方でフェルセンは、[[ハプスブルク君主国|オーストリア]]と通じて[[フランスブルボン朝|ブルボン王家]]救出活動も行った
=== フィンランドにおける王党派 ===
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