「ジャンヌ2世 (ブルゴーニュ女伯)」の版間の差分

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*フィリップ(1313年 - 1317年)
 
1314年、夫の妹[[イザベラ・オブ・フランス|イザベル]]の密告により、姦通の罪で王太子ルイ(後の[[ルイ10世 (フランス王)|ルイ10世]])妃[[マルグリット・ド・ブルゴーニュ (フランス王妃)|マルグリット]]、妹ブランシュとともに捕らえられ、ジャンヌは[[ドゥーダン]]へ幽閉された。ジャンヌは己の潔白を主張し続け、ジャンヌら姉妹の母マティルドの奔走も加わり、パリの法廷で彼女の無罪が宣言され、3人のうち彼女だけが許されて宮廷へ戻った。彼女だけが、夫との間に信頼関係が築かれていたためだともいえる。
 
幽閉による空白はあったものの、ジャンヌとフィリップにはその後1男1女が生まれたが、どちらも夭折した。
*ルイ(1316年 - 1317年)
*女子(1322年)
 
1302年に父オトンが死ぬと、爵位は幼い弟[[ロベール (ブルゴーニュ伯)|ロベール]]が継いだ。1315年にロベールが早世すると、オトンの子で最年長であったジャンヌが伯位を継承した。1329年には母の爵位も継いでブルゴーニュ伯兼アルトワ伯となった。
 
1322年に後、ジャンヌは宮廷を出て自分の領地で暮らした。1330年に[[ロワ=アン=アルトワ]]で亡くなり、遺体は[[サン=ドニ大聖堂]]の夫の隣に葬られた。
 
パリの大学[[コレージュ・ド・ブルゴーニュ]]はジャンヌにちなんで名付けられた。