「カール・ワイエルシュトラス」の版間の差分

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'''カール・テオドル・ヴィルヘルム・ワイエルシュトラス'''(''Karl Theodor Wilhelm Weierstraß'', [[1815年]][[10月31日]] - [[1897年]][[2月19日]])は[[ドイツ]]の[[数学者]]。
 
初め、[[ボン大学]]に入学したものの、[[ビール]]と決闘に熱中して4年間で一つも単位を取らなかった。その後、[[ミュンスター大学]]の[[教職課程]]に入り、クリストフ・グーデルマンに出会い、楕円関数論への関心を持つようになった。卒業後、26歳で教員として田舎の高校に就職する。教員としての仕事([[数学]]に[[国語]]に[[地理]]、そして[[体操]]まで教えた)をしながら、[[アーベル]]の定理と[[ヤコービ]]の二重周期関数の研究の統合を目指した。
 
初期の業績は超[[楕円積分]]の研究で、これがきっかけで[[ベルリン大学]]に招聘された。[[楕円関数]]論では、位数2の楕円関数である<math>\wp</math>関数の研究を行い、複素解析では、解析接続に基づいた厳密な方法を発展させた。その他、[[イプシロン-デルタ論法]]、一様収束の概念の考案など、[[微分積分学]]の基礎付けや、一変数複素関数、代数関数のべき級数による理論の整備に業績を残した。弟子には、[[ミッタク=レフラー]]、[[ソフィア・コワレフスカヤ]]がいる。
 
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