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'''エミール・テオドール・コッハー'''(Emil Theodor Kocher、[[1841年]][[8月25日]]-[[1917年]][[7月27日]])は[[スイス]]の[[外科学|外科学者]]。[[1909年]]に[[ノーベル生理学・医学賞]]を受賞した。
 
スイスの[[ベルン]]で生まれる。父親は技術者であった。[[ベルン大学]]で医学を学び、1863年に卒業。1865年に博士号取得。ベルリン、パリ、ウィーンで外科学を修める。ウィーン大学では内臓外科学の世界第一人者[[テオドール・ビルロート]]に付く。1872年から1911年までベルン大学外科学教授を務める。
[[ファイル:Thyroid2.png|left|250px|thumb|'''甲状腺(茶色)と周囲の組織''' 男性であれば喉仏と鎖骨の間に位置する。図上端は[[舌骨]]、そのすぐ舌に図では分かりにくいが甲状軟骨(喉仏)がある。甲状腺のすぐ上に灰色の筋で描かれた上下に延びる筋肉が[[甲状舌骨筋]]、甲状腺の左右に上下に延びる空色の管は内頚静脈、赤い管が総頚動脈]]
コッハーの業績は1870年に発表した[[肩|肩甲関節]]の治療に関する論文発表に始まる。同時期に[[内分泌]]器官である[[甲状腺]]におこる腫瘍について研究を開始。まず解剖から入り、ついで生理、病理にテーマを広げていき、治療法の開発に進んだ。1876年に最初の全切除に成功、1883年には全切除によって[[クレチン病]]の発症に至ることを報告した。
 
甲状腺は周囲に血管や気管が密集し、これまでは手術が困難とされてきた。甲状腺は右葉と左葉からなる。高さ4~8cm、幅2~4cm、厚さ1.5~2.5cmに広がる。問題なのは、甲状腺が[[気管]]をくるみ込むように広がり、[[食道]]にも接していることだ。両脇には頸動脈が走り、甲状腺を覆うように胸骨甲状筋や胸骨下骨筋、肩甲下骨筋が縦横に伸びる。
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1880年には「閉鎖創傷について」と題した著書を出版した。1882年には「外科手術学」を著す。その後、内反足の原因を究明し、治療法を研究する。急性骨髄炎、銃創の防腐処理、胆道疾患の治療、脳脊髄生理についても探った。舌切除、腰部関節と手首の関節について術式を開発した。
 
最初のテーマだった肩甲関節の整復術についても研究を続けた。彼の手法は現在でも'''コッヘル法'''と呼ばれ、肩関節[[脱臼]]の基本的な整復術として多用されている。さらに最初期の人工肛門手術に成功。ここで1909年に[[ノーベル生理学・医学賞]]を受ける
 
その後、[[ジョフ・リスター]]の無菌手術法をスイスに導入した。またコッハーは甲状腺手術の術式改良を推し進める。1912年には甲状腺だけで5000例に達し、安全な術式の確立に成功する。従来は甲状腺手術の死亡率が18%もあったが、これを0.5%まで下げた。
 
コッハーは天才肌の外科医ではなかった。手術に要する時間が特に短いということもなく、手先の動きも遅かったという。その代わり、非常に慎重に手術を進めるという評判が高かった。術式の研究とあわせ、外科医が用いる器具の改良にもいそしんだ。鋸歯状で、先端なっ[[鉤]]が付いた'''[[鉗子#種類|コッヘル鉗子]]'''(単にコッヘルとも呼ばれる)はまさに現代の手術でも多用されている。さらに、[[探針|ゾンデ]]も開発した。
 
[[1967年]]にはスイスの郵便切手に肖像画が採用されている。
 
== 関連項目 ==
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{{ノーベル生理学・医学賞受賞者 (1901年-1925年)}}
{{DEFAULTSORT:こつは えみる ておとる}}
<!-- [[Category:スイスの外科学者]] -->
 
<!-- [[Category:スイスの外科学者]] -->
[[Category:ノーベル生理学・医学賞受賞者]]
[[Category:1841年生]]