「防疫給水部」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
731部隊隊員の戦犯回避や、その後に起きた出来事ついては、731部隊の個別ページでお願いします。
11行目:
[[石井四郎]]隊長が率いた関東軍防疫給水部本部([[731部隊]])は防疫研究室の下部組織である。
 
==戦犯回避==
しかし特別列車で逃げ帰った石井ら幹部は、実験資料を金沢市に保管、千葉の石井の実家にも分散して隠し持っていた。戦後、石井は戦犯追及を恐れ、病死を装い偽の葬式まで千葉で行い行方をくらます。1942年から細菌兵器の研究を行っていたアメリカは731部隊の調査のため、細菌研究の専門家[[マレー・サンダース]]軍医中佐を日本に送り込む。通訳兼情報提供者として旧陸軍省から派遣されてきた[[内藤良一]](731部隊で石井の右腕)と大政翼賛会の元代議士[[亀井寛一郎]]はサンダースに会うが、当初は731部隊と何も関係ない人物ばかりを紹介した。このためサンダースは激怒し、内藤に「このままでは私は本国に帰り、彼らは調査を拒否していると報告せざるを得ない。この場合、どんな事態が起こるかわからない。しかし、皆がもし真実を語るならその秘密を守り戦争犯罪人として訴追しないことを約束する」と言った。内藤は全てを隠しとおすことを断念し、[[天皇]]から731部隊まで連なる陸軍の命令系統を記したメモを提出した。このためサンダースは連合軍総司令官[[ダグラス・マッカーサー]]に内藤らの戦犯免責を提言。サンダースは内藤を呼び、「マッカーサーの取り計らいにより細菌研究者の[[戦争犯罪人]]としての追求は行わない」と伝えた。「この(戦犯免責の)効果は絶大で一気に研究資料が出てきた」と1997年の[[テレビ朝日]]の[[ザ・スクープ]]の取材に対しサンダースは答えている。
 
だが内藤は人体実験をやった事実に関しては否定し続けた。サンダースの代わりにアーヴォ・トンプソン中佐が来日、隊長の石井との面会を執拗に日本に要求。この事態に731部隊の関係者は人体実験の秘密がばれるのではと震え上がった。隊員だった増田は青酸カリを持って、都内に潜伏していた石井に「隊長死んでくれ」「家族も殺してくれ」と要求した。石井は自殺を拒否し、トンプソンに尋問されることになったが人体実験の事実を否定し続けた。
 
1947年1月、[[極東国際軍事裁判|東京裁判]]ソ連側検事の[[ヴァシリエフ]]少将が石井らの身柄の引渡しを要求。ソ連は既に731部隊柄沢(からさわ)班班長であった[[柄沢十三夫]]少佐を尋問し、アメリカが把握していなかった中国での細菌戦と人体実験の事実を聞き出していた。同年1月24日[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の尋問で内藤が人体実験の事実を認めた。同年2月10日、GHQはワシントンへ「石井達をソ連に尋問させて良いか」と電文を出す。同年3月20日、それに対しワシントンは「アメリカの専門家に石井達を尋問させる。重要な情報をソ連側に渡してなならない」と回答。
 
再度のGHQの尋問に対し石井は人体実験の資料はなくなったと主張。さらに石井は、アメリカの担当者ノーバート・フェル博士に'''文書での戦犯免責'''を求めると共に、「私を研究者として雇わないか」と持ちかけた。近年アメリカで公開された資料によると神奈川県鎌倉での交渉で731部隊関係者側が戦犯免責等9か条の要求をしていたことが判明。「日本人研究者は戦犯の訴追から絶対的な保護を受けることになる」、「報告はロシア人には全く秘密にされアメリカ人にのみ提供される」等と書かれており、'''731部隊の幹部たちは戦犯免責と引き換えに人体実験の資料をアメリカに引き渡した'''。最終報告を書いた[[エドウィン・V・ヒル]]博士は「こうした情報は人体実験に対するためらいがある(人権を尊重する)我々(アメリカ)の研究室では入手できない。これらのデータを入手するため今日までかかった費用は総額25万円(当時)である。これらの研究の価値と比べれば、はした金に過ぎない」と書いている。
 
==その後==
1947年、国立予防衛生研究所幹部となった旧731部隊[[北岡正見]]([[ウイルスリケッチア]]部長)らは[[府中刑務所]]の受刑者を使って[[発疹チフス]]の人体実験を行った。
 
1950年、GHQと[[コネ]]ができた内藤は後年[[薬害エイズ]]を引き起こす[[ミドリ十字]]の前身の[[日本ブラッドバンク]](6人の取締役のうち3人が731部隊関係者。サンダース中佐が顧問)を創立。他の幹部たちも東大や京大を初めとする医学部の教授、[[陸上自衛隊衛生学校]]校長、[[国立予防衛生研究所]]所長、[[大阪大学微生物病研究所]]([[阪大微研]])幹部等、日本の医学界、医薬品業界、厚生行政の重鎮となり、さらに満州の[[A級戦犯]][[岸信介]]らが政界の重鎮となり日本国内での人道的見地からの責任追及の動きも封じていく。
 
1952年の'''[[名古屋市立乳児院事件]]'''では乳児達に対して、大腸菌を直接飲ませて激しい下痢を起こさせるという人体実験を行い一人の乳児を殺している。乳児達は親のいない子が多く拒むことはできなかった。[[名古屋市立大学]]小児科の旧731部隊員[[小川二郎]]が中心となり石井四郎のネットワークの一つである東京1644部隊にいた[[小川透]]、[[東大伝染病研究所]](現在の[[医科学研究所]])、国立予防衛生研究所が協力して行った実験であった。
 
同1952年、[[日本学術会議]]総会において若手医学者達が731部隊について反省・総括が必要と主張。それに対し戦前からの医学界の重鎮である[[戸田正三]](石井の京大での恩師で731部隊に積極的に協力してきた)は「細菌兵器は今日ほとんど実用になりません。実用にならぬ者を苦労して日本で作るというバカが出ましたら、そんなバカなことをするなという勧告を私からよく致しますから、どうかその点、ご安心ください」と回答。
 
1956年には[[米軍]]の[[生物兵器部隊]][[406研究所]]が出資し旧731部隊の[[北岡正見]]、[[浅沼靖]]が協力した'''[[新潟精神病院ツツガムシ病人体実験]]'''では、[[新潟大]]学医学部の[[桂重鴻]]教授らが149人の精神病患者に[[ツツガムシ]]の病原体(リケッチア)を投与し、8人が死亡、9人が腕から皮を剥がされる結果となった。これは米軍に[[ツツガムシ病]]がでないための実験であった。
 
1967年、ミドリ十字は[[赤痢予防薬]]の人体実験を陸上自衛隊員を使って行い、1089人中、577人に[[急性食中毒]]を起こさせた。また、[[人口血液製剤]]の承認を求める際に厚生省に提出したデータに改竄の跡があり、その調査の過程で瀕死の女性患者に[[代替血液|人工血液]]を未承認のまま投与する人体実験をしていたことが明らかになった。
 
1993年、阪大微研(旧731部隊[[渡辺栄]]らが作ったワクチンメーカー)は[[MMRワクチン]]([[はしか]]、[[おたふく風邪]]、[[風疹]]の三種混合ワクチン)のおたふく風邪ワクチンの成分を[[厚生省]]に無断で変えて[[無菌性髄膜炎]]を多発させ2人の幼児を死亡させた。
 
近年、アメリカの[[ダグウェイ]]実験場でも731部隊の人体実験のデータが発見され公開されている。その中には実験で標本にされた人体の顕微鏡写真も含まれていた。
 
==活動==
== 関連項目 ==
*[[関東軍]]