「杉山義法」の版間の差分

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'''杉山 義法'''(すぎやま ぎほう、[[1932年]][[1月17日]] - [[2004年]][[8月43日]])は、[[新潟県]][[新発田市]]出身の[[脚本家]]。本名は、よしのり。[[新潟県立新発田高等学校]]を経て[[日本大学]][[芸術学部]]映画学科卒業。<br>
[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の「[[年末時代劇スペシャル]]」の脚本を手がけたことでよく知られる。
 
1960年代から、主にテレビ時代劇で活躍し、NHK大河ドラマなどの大作の脚本をつとめる。<br>1985年、日本テレビ系「忠臣蔵」で脚本を担当。この作品が日本テレビ系「年末時代劇スペシャル」第1作となり、その後ほぼ毎年の脚本を担当。シリーズ最終作の1993年「鶴姫伝奇」まで8作の脚本を手がけて、不可欠のスタッフとしてシリーズを支えた。
さらには、演劇集団[[ドラマバンク]]を主宰し、代表幹事を務めた。
独り芝居「横浜ローザ」は、その演目の代表格であり、現在も公演され高い評価を得ている。氏の芸、趣味は多彩を極める。中でも「ピアノの弾き語り」は絶品、ギターも弾く。
[[石原裕次郎]]の歌を得意とし、その声の響きは何ともいえないものがある。
♪最後に勝つものにー、なろうじゃないかー(ー勇者たちー)は歌唱力・説得力ありのうたである。趣味には「写真機」の収集もあり、自他共に認めるコレクターでもあった。
阪神タイガースの大のファンでもあった氏は「[[野球は村山!(実)]]男は杉山!」と良く言っていたという。昭和62年頃から「[[岸浩太郎]]」の主宰する草野球チーム「演歌~巣”(えんかーず)」に「村山」が現役の時につけていた背番号11を背負い、コーチ兼任選手として在籍するほど、野球にも精通した。芸、多趣味、華麗なる才能を持った、本当のエンターテイナーであった。
 
 
==主なテレビ作品==
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*五稜郭
*小説田原坂
*源義経
 
==テレビ出演作品==