「アルヴィーダス・サボニス」の版間の差分

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== 来歴 ==
1981年、16歳の時に[[ソビエト連邦]]の構成国だった[[リトアニア・ソビエト社会主義共和国]]のクラブチーム、[[ザルギリス・カウナス]]にてプロデビュー。1989年までの8年間で3度[[ソビエト連邦]]の国内王者となった。<br />
1982年、17歳で[[バスケットボールロシア代表|ソビエト連邦A代表]]に招集され[[バスケットボールロシア代表|A代表]]デビュー。同年夏に[[コロンビア]]で開催された[[1982年バスケットボール世界選手権|世界選手権]]に参加し、優勝。金メダル獲得。<br />
1983年、[[スペイン]]の[[マヨルカ島]]で開催された[[バスケットボールU-19世界選手権|世界ジュニア選手権]]にU-18ソビエト連邦代表として参加、銀メダル獲得。同年[[フランス]]で行われた[[1983年バスケットボール男子欧州選手権|ユーロバスケット]]に今度は[[バスケットボールロシア代表|ソビエト連邦A代表]]として参加、銅メダル獲得。<br />
1985年、[[神戸市|神戸]]で開催された[[1985年夏季ユニバーシアード|ユニバーシアード]]で金メダル。同年、[[西ドイツ]]で開催された[[1985年バスケットボール男子欧州選手権|ユーロバスケット]]で金メダル獲得、大会MVPも受賞。<br>
1986年、21歳の時、[[スペイン]]で開催された[[1986年バスケットボール世界選手権|世界選手権]]に参加し、銀メダル獲得と共に大会ベスト5に選出される。同年秋に行われた[[1986年のNBAドラフト|NBAドラフト]]で、当時まだアメリカ人のみが席巻していた[[NBA]]において、アメリカ人以外の選手としては異例の1巡目24位という高順位で指名を受けた<ref>この時、サボニスが指名された瞬間、会場中からブーイングが起こった</ref>。しかし、当時は政治的に米ソが冷戦の対立の最中であったという事と、[[バスケットボール競技 (夏季オリンピック)|オリンピックにおけるバスケットボール]]にプロ選手が出られなかった<ref>[[NBA]]選手になるという事は、プロ選手になるという事で、国際大会に代表として出られない事を意味していた</ref>などの諸処の理由で、この時の[[NBA]]入りは叶わなかった。
 
== タイトル、個人記録、受賞 ==
8,955

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