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[[画像:Emerald Mound.jpg|thumb|300px|right|エメラルド・マウンド遺跡の主マウンド]]
 
'''ナチェズ族'''(Natchez)とはかつて[[アメリカ合衆国|アメリカ]]南部[[ミシシッピ州]]、[[ルイジアナ州]]のミシシッピ川下流域のナチェズ・ブラフ<ref>日本語表記なし。とりあえず発音記号に沿って似た音をあてる。</ref>(Natchez Bluff)地方を中心に定住していた[[インディメリカ州の先住民族|アメリカ先住民]]に属する部族のひとつ。'''ナッチェス族'''、'''ナチズ族'''とも表音・表記される
 
ナチェズ族は、ミシシッピ下流域の丘陵に祭祀センターを中心に村落を結成して定住していた。広義の[[ミシシッピ文化]]のプラケメン文化<ref>ミシシッピ文化のなかで地理的に南部に属するもののひとつのグループをプラケメン・ミシシッピアン(Plaquemine Mississippian)と呼んでいる。</ref>に属し、エメラルド・マウンド(Emerald Mound)などの祭祀センター<ref>北米ミシシッピ文化は、マウンドを伴う祭祀センターが特色であるため、とくに「神殿塚(Temple Mound)文化と呼ばれた時期があった。現在では後期ウッドランド(Late Woodland)文化[or期]かミシシッピ文化かのいずれかの呼称が一般的である。</ref>を築いていた。[[16世紀]]には、[[エルナンド・デ・ソト]]も訪れている。エメラルド・マウンドが衰退すると、[[17世紀]]には、グランド・ヴィッレッジ(Grand Village)にとってかわられた。 [[フランス人]]に滅ぼされる前は、一種の首長制国家<ref>この時期の北米やLower Central Americaやコロンビア周辺の政治的組織の形態はChiefdomとして位置づけられている。</ref>を築いており、偉大な「太陽王」を頂点に「貴族」、「名誉庶民」で「平民」(臭い人)の順の階層社会であった。農作物では[[トウモロコシ]]などを栽培しながら暮らしていた。ナチェズ語は[[マスコギ語族]]だとされる。