「アブハジア紛争」の版間の差分

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[[1991年]][[4月9日]]、グルジアが独立を宣言。[[1992年]][[2月21日]]、グルジアの軍事評議会は、ソビエト連邦期の[[憲法]]を廃止し、[[1921年]]に制定された[[グルジア民主主義共和国]]の憲法を復活させることを宣言。これを、アブハズ人たちは、自治権の廃止ととらえた。
 
1992年[[7月23日]]、アブハジア自治政府が独立を宣言したが、国際的な承認は得られなかったため、グルジア政府は3000人の部隊をアブハジアに送り、スフミにおいて、アブハジアの分離主義武装グループとのあいだで激しい戦闘が起こった。1週間の戦闘で双方に多くの犠牲者が出て、グルジア政府はアブハジア自治政府を廃した。アブハジア側の敗北の後、[[北コーカサス]]の諸共和国からの義勇軍がアブハジアの分離主義グループに合流し、再びグルジア政府軍との交戦が始まった。
 
1992年9月、反乱軍の攻勢によって、グルジア軍は劣勢に立った。シェワルナゼ政権は、アブハジアの分離主義者に対して密かに軍事的な支援を行っているとしてロシアを非難した。1992年末、反乱軍がスフミ以西のアブハジアの大部分を掌握した。「民族浄化」(ethnic cleansing)が双方に起こり、この段階で約3000人が殺されたとされる。