「ノート:理解」の版間の差分

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小松明 (会話 | 投稿記録)
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==出典==
内容全般の出典がはっきりしません。--[[利用者:Onyx|Onyx]] 2008年11月21日 (金) 13:43 (UTC)
 
理解というのは、疑問点を追及し、疑問点をなくし「わかった」という状態になること。
また、理解というのは感情であるともいえる。喜怒哀楽に続く第五の感情・理解であると小松明は提唱する。小松明のペンネーム及川晴彦にて「人は誰でも天才になれる!?」で1999年12月に発表されている。ISBN4-7974-1102-3 C0095 \857E 現在は絶版のため国立国会図書館にて閲覧可能。
感情というのは快・不快を感じるものをいう。
「理解できないとき嫌になる」という自己暗示を駆使すれば、理解は感情であることを証明できる。
それまでに特に理解の感情は意識できなくて、その後、自己暗示により理解の感情を持ったとき、頭の中にあった、それまでの理解が全部なくなり空っぽになったように感じる。理解の空間と名づける頭の中のその空間には、その後、理解した事柄がたまっていくように感じられる。また、その空間の中では、そのことがイメージでき、理解の内容を再確認でき、また把握できる。理解した事柄が複数貯まった後、理解と理解を、その空間でぶつける実験を行ったところ、考えが閃くことを発見した。
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