「観世流」の版間の差分

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[[小鼓]]方観世流(一名・観世新九郎流)は観世座座付の小鼓方。
 
[[観世信光]]の孫・観世彦左衛門豊次([[1525年]]〜[[1585年]])が宮増弥左衛門親賢([[1482年]]〜[[1556年]])の弟子となって流儀を興した。[[宮増]]は大和猿楽の各座で鼓方を担当していた一族で、流儀の伝承では、初世宮増信朝、二世美濃権守吉久を加上し、親賢を流儀の三世、豊次を四世として扱っている。
 
代々「新九郎」を名乗り、[[江戸時代]]は観世座小鼓方筆頭として活躍したが、十四世新九郎豊成の没後、子の豊好が家芸を継がず、一時家元を預かった門弟湯浅平次(十五世)も早くに没し、家元が空位となる。[[維新]]後、姓を「宮増」に改めた家元家に石浦通宏(十六世)が養子入りして再興し、子の宮増純三(十七世・当代)が後を襲った。近年、家元家ではふたたび姓を「観世」に服し、純三が「観世豊純」を、子の新一郎が「新九郎」を名乗っている。近年の名手としては、宮増純三の実兄・[[敷村鉄男]]が名高い。