「法典論争」の版間の差分

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{{Otheruses|19世紀前半のドイツにおける法典論争|19世紀後半の日本における法典論争|民法典論争}}
'''法典論争'''(ほうてんろんそう)とは、[[19世紀]]の[[ドイツ]]において、[[フリードリヒ・カール・フォン・サヴィニー|サヴィニー]]と[[アントン・フリードリヒ・ユストゥス・ティボー|ティボー]]の間で発生した[[法典]]編纂の是非を巡る議論。分裂状態にあったドイツに統一的な法典を導入する事によって統一の障害になっている法制の統一を図ろうと唱えるティボーとこれを非現実的と見るサヴィニーの論争をきっかけとした。この論争が[[歴史学派]]の台頭とその後の[[ロマニステン]]と[[ゲルマニステン]]の分裂・対立を招き、その後の[[ドイツ法]]のあり方にも影響を与えた。
 
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[[Category:ドイツの法律]]
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