「ジュゼッペ・ジャンニーニ」の版間の差分

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== 略歴 ==
クラブ15歳は現役時代のほとんどを[[ASローマ]]で過ごし、15歳でローマの下部組織に入団するとし、1982年1月31日の[[ACチェゼーナ]]戦でセリエAデビューを果たした。コッパイタリアを3度制覇するなど15年間に渡ってクラブの中心選手としてプレーした。
 
イタリア代表としてはイタリアU-21代表時代の恩師、[[アゼリオ・ビチーニ]]が監督に就任すると同時にイタリア代表に選出された。1986年12月の欧州選手権予選[[サッカーマルタ代表| マルタ]]戦でデビューを飾ると主力選手としてった。[[ジャンルカ・ビアリ]]や[[フランコ・バレージ]]らと共に主力選手として1988年の[[UEFA欧州選手権1988|欧州選手権]]のベスト4、1990年の[[1990 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・イタリア大会]]の3位入賞に貢献した。
 
その後、選手生活の終盤にはローマを離れオーストリアの [[シュトルム・グラーツ]]でプレー、再びイタリアへ戻り[[SSCナポリ]]を経て1998-99シーズンに[[USレッチェ|レッチェ]]に在籍したのを最後に引退した。2000年5月17日にローマで行われた引退試合には往年のASローマのメンバーやスター選手が顔を揃え彼を祝福した。
 
いまやイタリア代表のエース[[フランチェスコ・トッティ]]の憧れの選手であり、「プリンチペ」の愛称はトッティに継承されている。
 
==所属クラブ==