「王弼 (三国)」の版間の差分

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王弼は浅薄ではあったが、穏やかな性格で、酒宴を好み、[[音律]]に通じ、投壺(壷の中に矢を投げ入れる遊び)が上手だった。王弼は[[道家]]の学説では何晏に及ばなかったが、何晏を超える説も多かった。王弼は自分の得意分野で人を嘲笑したので、当時の知識人から憎まれた。
 
鍾会は王弼と仲が良く、王弼の論の高邁さに感服していた。鍾会は何晏とも交流があり、何晏の「聖人には喜怒哀楽の情が無い」という論を祖述した。王弼は何晏のこの論を批判し、「聖人は人より精神の働きに優れ、人と同じ点は五つの情(喜怒哀楽と欲または)にある。精神の働きがすぐれているからこそ、宇宙の和楽の気を体得して無に通ずることが出来る。五つの情が同じだからこそ、哀楽の情によって外物に対応してしまうのである。だからこそ聖人の情は外物に引きずられない点をとりあげて、外物に対応しないのだと考えるとすれば、それは間違いである。」と主張した。
 
王弼は『老子』『[[易]]([[周易]])』の注釈を書き、『道略論』を著述した。『老子』『易』の注釈は現存し、高く評価されている。『易』の注釈は『[[十三経#十三経注疏|十三経注疏]]』に採用されている。