「トゥッルス・ホスティリウス」の版間の差分

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王政ローマでは初期の頃、王はラテン人とサビニ人から交互に選ぶという取り決めになっていた。初代の[[ロムルス]]はラテン人で、第2代の[[ヌマ・ポンピリウス]]はサビニ人であったため、第3代はラテン人の名門出身であるトゥッルス・ホスティリウスが選ばれ、[[紀元前673年]]に即位した。彼の祖父はサビニ人との戦争の際に奮戦し、華々しく戦死した名将として有名であった。
 
その頃、ローマは隣国[[アルバ・ロンガ]]との間で農地の境界を巡る不満が蓄積していたが、強国であったアルバ・ロンガを恐れて話し合いで解決させていた。だが王位に就いたトゥッルスはこれを戦争で解決することを主張する。両国は戦争となるが、アルバ・ロンガは初代王ロムルスの出身でもあるため、無用な流血を避け、代表者同士による決闘で勝敗を決めることとなった。ローマは[[ホラティウス三兄弟|ホラティウス3兄弟]]、アルバ・ロンガはクリアティウス3兄弟を代表とし、始めはアルバ・ロンガ側が圧倒するように見えたが、結局はローマが勝利した。
 
結果としてアルバ・ロンガはローマに忠誠を誓うことになったが、内心では大いに不満を抱いていた。そのためアルバ・ロンガはフェデナイとウェイイの2都市を扇動し、ローマに宣戦布告させる。そしてアルバ・ロンガはローマの味方として参戦するように見せかけながらも、戦いの瞬間に裏切る計画を立てていた。だがトゥッルスはこの策略を見抜いていた。