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[[イラン・コントラ事件]]によって、[[ロナルド・レーガン|レーガン]]政権による援助が難しくなった時期に、「[[世界基督教統一神霊協会|統一教会]]」(統一協会)の教祖、[[文鮮明]]が、[[ロナルド・レーガン|レーガン]]政権の要請を受けて創設した新聞『[[ワシントン・タイムズ]]』でコントラに対し、1400万ドル(当時のレートで約35億円)を援助することを申し出た。
 
[[1988年]]3月23日[[コスタリカ]]の仲介でサポア停戦合意が結ばれ、翌年の追加合意でコントラの武装解除と再統合が計られた。この合意により国際監視下での選挙が1990年2月25日行われ、国民野党連合の[[ビオレタ・チャモロ]]がダニエル・オルテガを破り大統領に当選した。いくらかのコントラ分子及びサンディニスタの一部は、1990年代の短期間武装反乱を起こしたが、いずれも武装解除するように説得された。解散後も一部の元兵士が[[レコントラ]]を結成して抵抗を続けた。
 
== 関連項目 ==