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| 上級市長: || ヨアヒム・パウリック (Joachim Paulick) ([[ドイツキリスト教民主同盟|CDU]])
|}
'''ゲルリッツ'''(''Görlitz'', )([[media:Goerlitz pronunciation in German.ogg|発音]]) [[オーバーラウジッツ(]]([[w:deen:Upper Lusatia|Oberlausitz]])、現[[ザクセン州]]の[[ナイセ川]]流域にある[[ドイツ]]の[[都市]]である。[[ヤーコプ・ベーメ]]の住居した都市として知られる。現在は[[ドレスデン]]都市圏に属する。なお[[第二次世界大戦]]後、[[オーデル・ナイセ線|オーダー・ナイセ線]]によるドイツ・[[ポーランド]]間国境策定によって、旧ゲルリッツ市の東岸がポーランドに帰属し、[[ズゴジェレツ]](Zgorzelec)(Zgorzelec)となっている。この両都市は2007年12月[[シェンゲン協定]]にポーランドが加盟したことにより、検問が廃止されて再度一つの町として発展する方向に向かい、「2030年までに1都市、1行政、1議会」とする計画を立てている<ref>「[[朝日新聞]]」2008年1月31日朝刊、9面。</ref>。
 
== 歴史 ==
この町の名前であるゲルリッツの名は、[[スラヴ語派|スラ]]で「燃やされた土地」(町を切り開く際に土地が焼かれた)を意味する言葉に由来する。ゲルリッツが最初に文献に登場するのは、当時ドイツ王だった[[ハインリヒ4世 (神聖ローマ皇帝) |ハインリヒ4世]]が1071年に書いた書簡である。13世紀以降、交易により町は発展する。
 
[[三十年戦争]]以後[[ザクセン君主一覧|ザクセン選帝侯]]の支配下に入り、[[ナポレオン戦争]]の後1815年の[[ウィーン会議]]により[[プロイセン王国|プロイセン]][[シュレジエン]]の一部となった。
 
第二次世界大戦ではドイツが敗北する直前、町のナイセ川にかかる橋がすべて爆破された。やがて[[オーデル・ナイセ線|オーダー・ナイセ線]]が[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]とポーランドとの国境線とされたため、町のナイセ川右岸の部分は1948年にポーランド領ズゴジェレツとなり、残りの部分は東ドイツのザクセン州の一部となった。その後ゲルリッツは1952年からドレスデン県に属し、ドイツ統一に際し再設置されたザクセン州に復帰した。
 
2002年の水害により、ゲルリッツとズゴジェレツを結ぶ橋が損傷したが、2004年10月に復旧した。
 
== ゲルリッツ出身の人物 ==
*[[ヤーコプ・ベーメ]]:哲学者
*[[オスカー・モルゲンシュテルン]]:経済学者
*[[ミヒャエル・バラック]]:サッカー選手
 
== 脚注 ==
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*[[ザクセン州]]
*[[シュレージエン]]
*[[ミヒャエル・バラック]](ゲルリッツ出身のサッカー選手)
*[[ラウジッツ]]
*[[六都市同盟]]