「ヨナタン (ハスモン朝)」の版間の差分
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== 生涯 ==
ヨナタンは父[[マ
ヨナタンはセレウコス朝からの独立戦争を戦い、セレウコス朝の王位を狙う[[アレクサンドロス1世|アレクサンドロス1世バラス]]の援助を行なうなどして、[[紀元前152年]]には[[大祭司]]としての権限を認められ、次第に国家として自立していった。エジプト王[[プトレマイオス6世]]との友好関係を築き、[[共和政ローマ|ローマ]]や[[スパルタ]]との同盟を確立するなど外交手腕も発揮した。しかし、正当な家系に属さないマカベア家が大祭司職に就く事には批判があり、[[ユダヤ教]]徒の敬虔派の反発も招いた。
[[紀元前142年]]、ヨナタンはセレウコス朝の部将[[トリュフォン]]の計略により捕らえられ、殺害された。兄[[シモン_(ハスモン朝)|シモン]]が後任の指導者となった。
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