「テレビ神奈川」の版間の差分

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* TVKが幹事社となりKBS京都と共同制作したオムニバスドラマ『[[塩カルビ]]』([[西村雅彦]]主演)の記者会見において、店員役でレギュラー出演した[[豊岡真澄]]に「今度は'''普通のテレビ局'''のドラマがいい」と発言されてしまった。しかし『[[saku saku]]』など都内の芸能人・有名人らに熱烈な支持を持つ番組を存在することから、東京側から見てtvkがUHF局だからといってキー局と比べクオリティが全面否定されているわけではないことが分かる。またキー局関係者にも熱烈なファンを持つテレビ局として地位を築いている。
* かつて横浜そごう(現・[[そごう]]横浜店)とTVKの関係は緊密で、「キャプテンロコスタジオ」(2F)「みなとみらい21スタジオ」(地下1階)という2つのサテライトスタジオを設け、「カフェシティ」やかねてからあった夕方の[[ミューコム]]制作の生番組に威力を発揮した。しかし、バブル崩壊後にそごうが経営不振に陥ると、それらの番組は打ち切りとなり、ついにはスタジオ閉鎖、横浜そごうのTVK持株売却と、TVKとそごうとの関係は急速に悪化していった。
* TVKは1980年代から1990年代初頭にかけ、好景気と横浜そごうなど大スポンサーの存在が後ろ盾となり、経営状態は好調を持続していたが、バブル景気の終焉とともに、大スポンサー中の大スポンサーであったそごうの経営不振が経営の屋台骨を大きく揺さぶった。さらに[[神奈川県]]の財政危機(広報番組予算が7億円から数千万単位まで縮小された)や、TVKが最後まで反対した[[東京メトロポリタンテレビジョン|東京MXテレビ]]の開局がTVKにはカウンターパンチとなり、売り上げが30億円近くも減少(売上最高期の1/4近く、90億円→60億円)した。この煽りを受け自社制作番組は急速(70%→40%)に減り、2002年には売り上げで東京MXテレビに、2003年には自社制作率でも[[テレビ埼玉]]に抜かれる「非常事態」となった。ここまでになった理由としては、公安出身者を社長に据えるという報道機関にはあってはならない人事が県の意向で行われたこと、「ワンソフト・マルチユース」の意味をはき違えた再放送中心の番組編成(ほとんどの番組を再放送して枠を埋める)により、社内の士気が失われていったことなどが挙げられる。
* まさに存亡の危機的状況のなか、TVKの凋落を見て「県が県域メディアを経営する時代は終わった」という[[岡崎洋]]県知事(当時)の意向により、2001年に株式売却が行われ経営権が[[神奈川県]]から[[神奈川新聞]]社に移ることとなった。当初は新聞社とテレビ局の違いもあって両社の連携はしっくりいかなかったが、その後、第三者割当増資(県内市区町村などが応じる)、新社屋(横浜メディア・ビジネスセンター)<ref>現本社であるこのビルをもってtvkはテナントビルに入居したと評されることもあるが、土地は神奈川新聞社所有、建設は神奈川新聞社とtvk、横浜産業振興公社との共同事業体なので、テナントビル入居というのは誤りである。</ref>建設・移転、「ヨコハマ開放区」のVI導入([[電通]]との本格タッグ開始)、県域独立U局初の地上デジタル放送開始([[2004年]][[12月1日]]<ref>[[東京メトロポリタンテレビジョン|東京MXテレビ]]はキー局と同時、[[サンテレビジョン|サンテレビ]]はtvkと同時スタートであったが、tvk以外はどちらも簡易マスターでの完全アップコンバート放送でのスタートであり、両局の自社制作のハイビジョン番組の供給は[[2006年]]になってからであるので、tvkが初の本格スタートといえる。</ref>)、独立U局には珍しい[[インデックス]]社との提携による携帯公式サイトオープン(全キャリア対応)など、積極的な戦略に出ることになる。これにより、2005年度は3期連続増収、新社屋移転後初の黒字決算を達成、売り上げでは東京MXテレビを再び抜き<ref>しかし、2007年度に東京MXテレビに再び抜かれている。地デジによる都内での可聴世帯の増加、認知度の増加が影響していると思われる。</ref>、自社制作率も準キー局を含む地方局トップに返り咲き「独立U局の雄」の復権を果たした。
* tvkの新ロゴは新しいイメージカラーの空とハイビジョンの画面比16:9、tvkの文字を模してデザイン化したものである。