「オペレーション・ベビーリフト」の版間の差分

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== 孤児移送作戦 ==
ベトナム戦争が終わりに近づくにつれて、ベトナム人の孤児とアメリカ人家庭との養子縁組が増加した。1975年3月に[[ダナン]]が陥落して[[サイゴン]]にも戦火が迫ると、数十万の市民が脱出を開始した。こうした中で、ベトナム人孤児たちの生命も気遣われ、国際養子縁組を進める慈善団体であるホルト{{enlink|Holt International Children's Services}} やフレンド・オブ・チルドレン・オブ・ベトナム(FCVN)、レンズ・フォー・オール・チルドレン{{enlink|Friends For All Children}}(FFAC)、カトリック救援奉仕事業、国際社会奉仕事業、インターナショナル・オーファンズ{{enlink|Childhelp}}、パール・バック財団などが、アメリカ政府と軍に孤児たちの退避のための要請を行った。
 
1975年4月3日、[[ジェラルド・フォード]]大統領は、[[C-5 (航空機)|ロッキードC-5ギャラクシー]]輸送機による30回のフライトで孤児たちを避難させるという「オペレーション・ベイビーリフト」の開始を声明した。翌[[4月4日]]に飛び立った第一便は事故を起こし、助かるはずであった幼児や子供が大勢亡くなった。この事故の結果、この作戦は米国内外の関心と同情を集めることになった。作戦はその後も継続され、北ベトナム軍の攻撃により[[タンソンニャット国際空港|タンソンニャット空港]]が使用不可能になる[[4月26日]]まで継続された。