「瑞宝章」の版間の差分

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<cite>新制度の最上位については[[瑞宝大綬章]]を参照</cite>
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==''概要''==
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[[2003年]]([[平成]]15年)11月3日に行われた栄典制度改正、同日制定の「各種勲章及び大勲位菊花章頸飾の制式及び形状を定める内閣府令(平成15年内閣府令第54号)」により、「勲○等に叙し旭日○○章を授ける」といった勲等と勲章を区別する勲記及び叙勲制度から、「旭日○○章を授ける」という文章に改正された。なお、改正時の政令附則により、改正前に授与された者は改正後も引き続き勲等・勲章とを分けた状態で有しているものと扱われる。
 
 
[[1892年]](明治25年)7月19日、[[広瀬宰平]]([[住友]]総理事)、[[渋沢栄一]]([[第一銀行]]頭取)、[[古河市兵衛]]([[足尾銅山]]経営者)、[[伊達邦成]](北海道開拓者)の4人が、[[臣民]]の中でも「民間人」として初めて明治勲章(勲四等瑞宝章)を受章した。それまで、勲章は国家のために尽くした者、つまり[[官吏]]にしか授けられなかったが、同年賞勲条例が改正され、民間人でも国家のためにつくした者には授与されることとなった。
 
 
==意匠==
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章のデザインは、宇摩志麻遅命が[[神武天皇]]に奉った瑞宝に基づいているとされるが、実際は[[伊勢神宮]]のご神体である[[鏡]]をモチーフにしていると言うのが一般的な見解である。章の中央部に、青色七宝に浮くように鏡のモチーフが浮き出して取り付けられ、連珠が丸く囲む。その外側は四方に伸びる光線が白七宝によって施され、中央の鏡のモチーフを囲む部分には赤の連珠が配される。基本的にご神体である鏡に強く光が当たった状態をデザインに起こしていると言って良い。デザインは一等正章から六等までは基本的に同一であるが、等級により金鍍金の施される範囲や章の大きさが異なる。 また大綬章(勲一等)の副章と重光章(勲二等)の正章のみ、外側に伸びる光線は八方である。
 
綬は(淡藍)藍の織り地に黄の双線と定められているが、時代によって色味には非常にバラツキがある。 現に制定当初の明治初期には「淡藍地に桃色双線」であったが、すぐに淡藍(ごくごく薄い灰緑色)に改められた。[[大正]]末期から[[太平洋戦争]]末期頃に掛けては、靖国神社に展示されている物のように、織り地の「淡藍」が非常に濃い物で、金鵄勲章と見まごうばかりの灰緑の物も存在していた。戦後は元の通り、極淡い淡藍の地に黄色の双線に戻り、栄典制度改訂まではそのままの色味であった。全ての瑞宝章は章の裏面に「勲功旌章」の刻印が施される
 
全ての瑞宝章は章の裏面に「勲功旌章」の刻印が施される。
 
===栄典制度改正による意匠の変更===
瑞宝章は栄典制度改正により、各種勲章及び大勲位菊花章頸飾の制式及び形状を定める内閣府令(平成十五年五月一日内閣府令第五十四号)が施行されるに伴い、大きく意匠が変更された。まず、それまで[[旭日章]]の格下であった瑞宝章を[[旭日章]]と同格に昇格するにあたり、勲章の体型(正章・副章などのセット)が旭日章と完全に同等に改められた。これにより瑞宝重光章(勲二等)は新たに勲三等の正章を副章として持つこととなった。 同時に全ての勲章に、旭日章と同形である桐紋の紐(ちゅう・綬と章をつなぐ金具)が備えられることとなり、また赤色連珠の固定も、これまでのカシメ留めてはなく、プラスネジによる固定となった。
 
しかし最も変化が現れやすい点としては綬の色であろう。それまで「淡藍に黄の双線」と定められていた物が、「藍の地に黄の双線」と改められることとなったため、誰の目にも明らかに色味の変化が解るようになった。 しかし「藍」といってもまだ薄いもので水色に近く、日本の伝統色で言えば皇室の瑞祥の色として用いられている[[縹色]](はなだいろ)に近い。また従来では女性用と男性用の綬の結び方が異なっていたが、栄典制度改正を期に男性用の物と同一になった
 
また従来では女性用と男性用の綬の結び方が異なっていたが、栄典制度改正を期に男性用の物と同一になった。
 
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==運用==
旧制度下に於いては勲等の序列は旧来の[[宮中席次]]に則り、上位から[[旭日章]]、[[宝冠章]]、[[瑞宝章]]の順に、同じ[[勲等]]の中では最も下位に位置づけられていた。しかし[[2003年]](平成15年)、[[栄典]]制度の抜本的改革にあたり、栄典制度の男女公平化によって[[旭日章]]、[[桐花章]]、[[菊花章]]が女性にも等しく開放される事となったため、必然的に瑞宝章もこれまでとはその栄典の性質を変化させる必要があった。同格に位置づけられた[[旭日章]]が“国家または公共に対し功労がある者の内、功績の内容に着目し、顕著な功績を挙げた者”を授与対象とすることになったため、対する瑞宝章は“国家または公共に対し功労があり、公務等に長年従事し、成績を挙げた者”とされ、主に長年公務員を務めた物や、公共事業に於いて功労のあった者”、即ち長期にわたって公務等に従事した者の功績に与えられる勲章となった。
 
しかし[[2003年]](平成15年)、[[栄典]]制度の抜本的改革にあたり、栄典制度の男女公平化によって[[旭日章]]、[[桐花章]]、[[菊花章]]が女性にも等しく開放される事となったため、必然的に瑞宝章もこれまでとはその栄典の性質を変化させる必要があった。
 
同格に位置づけられた[[旭日章]]が“国家または公共に対し功労がある者の内、功績の内容に着目し、顕著な功績を挙げた者”を授与対象とすることになったため、対する瑞宝章は“国家または公共に対し功労があり、公務等に長年従事し、成績を挙げた者”とされ、主に長年公務員を務めた物や、公共事業に於いて功労のあった者”、即ち長期にわたって公務等に従事した者の功績に与えられる勲章となった。
 
 
===外国人に対する儀礼的叙勲での運用===
瑞宝章が儀礼叙勲で用いられることは少ないが、[[国賓]]の来日や[[皇族]]の外遊などの際に同席する、「ロイヤルファミリーには認められているが個人的としては[[王族]]の[[身位]]を所持しない者」に対して大綬章(勲一等)が贈られてきた例がある。[[タイ]]のソムサワリ元皇太子妃や、[[オランダ]]のマルグリート王女(女王の妹)の夫などにその例を見ることが出来る。
 
 
===皇族に対する叙勲===
皇族叙勲については、皇族の初叙が、男性は桐花章以上、女性は宝冠牡丹章以上であるため、単独で瑞宝章を授与された例は無い。しかし例外として、[[香淳皇后]]は勲一等宝冠章と共に勲一等瑞宝章も所持していた。ただし、[[大勲位菊花大綬章]]で述べている菊花章授章による同時拝受により勲一等瑞宝章を所持していた皇族は過去に存在する
 
ただし、[[大勲位菊花大綬章]]で述べている菊花章授章による同時拝受により勲一等瑞宝章を所持していた皇族は過去に存在する。
 
== 脚注 ==