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英語版 Monor House (10:41, 10 August 2009) より引用
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[[Image:Worksop Manor.jpg|thumb|300px|right|16世紀末に建設された[[ノッティンガムシャー]]ワークソップのマナーハウス(1761年に焼失)]]
'''マナーハウス''' ('''manor house''') とは[[中世]][[イングランド]]における[[荘園]](マナー)において、[[貴族]]や[[ジェントリ]]に属する地主が建設した邸宅。中世以降マナー語源は[[マンショトリー・ハウス]](mansion)ほぼであるがマナーハウスはやや下級に位置する貴族どちらも領主など所有「滞在する邸宅であり、中世」という意味の[[封建制ラテン語]]における領土管理機構の最下位の単位と {{lang|unicode|''manēre''}} から派生ての役割があっ、などの点言葉相違が存在する。
 
中世以降の[[カントリー・ハウス]]とほぼ同義であるが、マナーハウスはやや下級に位置する貴族が所有する邸宅であり、中世[[封建制]]における領土管理機構の最下位の単位としての役割があった、などの点で相違が存在する。
==語源==
 
[[マンション]](mansion)とマナーの語源は同一であり、どちらも領主などが「滞在する」という意味の[[ラテン語]]''manere''から派生した言葉である。
== マナー・ハウスの形成 ==
紀元前55年に[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]によって開始されたローマ人の[[ブリタンニア]]征服は、数世紀のうちにブリテン島南部におけるローマ人の支配権を確立させた。農村においては[[イタリア半島|イタリア]]周辺と同様の大規模土地所有が浸透してゆき、地主によって邸宅が建設された。別荘として用いられたイタリアの[[ヴィッラ]]とは異なり、これらは[[所領]]の中心として機能していた。多くの建物は基礎に石材を用いる一方で上部構造は木製であった。これらのほとんどは現存していないが、一部の建物には[[床暖房]]や[[浴室]](現在の[[サウナ]])などが完備されるなど、非常に高度な構造を有していたことが判明している。
 
[[アングロ・サクソン人]]と[[キリスト教]]の到来によってブリテン島の社会と文化は大きく変化した。この時代の地主の住居に関しては不明な点が多いが、建物は[[ホール]](多目的用途の広間)を中心としていたこと、夫人の生活する区画であるとされるバウワーという建家を有するなどの特徴が挙げられる。
 
1066年の[[ノルマン・コンクエスト|ノルマン・コンクェスト]]以後は、[[ノルマン貴族]]が軍事拠点としてイングランドに合計500あまりの城塞を建築した。[[ウィリアム1世 (イングランド王)|ウィリアム1世]]は[[サクソン貴族]]を追放し、イングランド全土の5分の1を[[王領地]]に、残りを170人あまりのノルマン貴族たちと自らの親族に等分した。各貴族は自らの生活に必要な所領を取り置いた残りを家臣に分け与え、これら合計4000人ほどの陪臣が後に[[ジェントリ]]、[[エスクワイア]]として[[ジェントルマン]]層を形成することになった。農村における経済単位はマナー([[荘園]])であり、その支配者である荘園領主の邸宅は[[マナー・ハウス]]と称される。13世紀に建設された[[ウォリックシャー]]の[[バッズリー・クリントン]]がその代表例に挙げられる。総人口200万人ほどの農民は自らの農地での労働の他に領主直営地での耕作を義務づけられていた。一方で上流貴族の邸宅においてはホールの重要性がしだいに増加し、社交や政治目的(領主裁判など)で使用されるようになった。これは[[イギリス君主一覧|イングランド王]][[ジョン (イングランド王)|ジョン]]の治世に[[ノルマンディー]]における基盤を失ったノルマン貴族が、自らの地位を安定させるために上下関係を誇示するのに好都合なホールを重用したためでるとされる。下級貴族が住むマナー・ハウスにおいてもこうした構造が踏襲されていた。
 
15世紀に[[バラ戦争]]が開始されると、イングランドの貴族は[[ランカスター家]]と[[ヨーク家]]の陣営に分かれて戦闘を繰り広げた。86家存在した貴族は戦後になって29あまりにまで減少したとされる。疲弊した貴族層に変わって[[ナイト]]、ジェントリなどの下級貴族、さらにはその下の[[ヨーマン]]が台頭した。この後イングランドを統治した[[チューダー朝]]において、カントリー・ハウスが勃興することになる。
 
==現代の利用状況==