「亀岡高夫」の版間の差分

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[[福島県]][[伊達郡]][[桑折町]]出身。亀岡家は養蚕業を営んでいたが亀岡の父の代になって、醤油醸造業に失敗し破産した。[[1937年]]、旧制福島県立保原中学校(現・[[福島県立保原高等学校]])を首席で修めたが、学費がかからない[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]に進む。[[1940年]]に陸軍士官学校(53期)を卒業。士官学校卒業後、[[第2師団 (日本軍)|第2師団]][[歩兵第16連隊]](新発田)に配属され連隊旗手となった。
 
[[太平洋戦争]]が始まると、[[仏印]]を皮切りに[[ジャワ島]]、[[ニューブリテン島]]を転戦し、[[ガダルカナル島]]に派遣され重傷を負うが一命を取り留め復員する。終戦時は[[陸軍少佐]]。復員後、行商をするが、商売に失敗した上、[[結核]]にかかり2年余の闘病生活を経て政治運動に入る。[[1950年]]、積雪寒冷地帯両院議員連盟を結成し、亀岡は事務局長に就任し、雪国の積雪被害を陳情する。[[1960年]]、[[第29回衆議院議員総選挙]]に旧福島1区から立候補し当選。以後当選10回。自民党では[[佐藤派]]、[[田中派]]を経て[[竹下派]]に所属。
 
[[第2次佐藤内閣]]の内閣官房副長官、[[第2次田中角栄内閣第1次改造内閣]]の建設大臣、[[鈴木善幸内閣]]の農林水産大臣を務めた。1989年の[[昭和天皇]]の[[大喪の礼]]で倒れ、同年3月13日死去した。[[享年]]69。
 
自民党衆議院議員[[亀岡偉民]]は甥で養子。
 
{{先代次代|建設大臣|1973 - 1974|[[金丸信]]|[[小沢辰男]]}}
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