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イギリス[[フォーミュラ3|F3]]や国際[[フォーミュラ3000|F3000]]などでチャンピオン獲得経験があり、[[J.J.レート]]や[[デビッド・クルサード]]を輩出したパシフィックは、当初1993年からのエントリーを目指していたが、資金難で一年遅れての参戦となった。
 
レースドライバーは[[ベルトラン・ガショー]]と[[ポール・ベルモンド]]、テストドライバーに[[オリバー・ギャビン]]。シャシーは1991年に[[レイナード]]がF1参戦を狙った際に[[ロリー・バーン]]と[[パット・シモンズ]]が設計したものに[[ポール・ブラウン_ (F1)|ポール・ブラウン]]が改良を施したものをPR01とし、[[イルモア]]の型落ちエンジンを搭載した。
 
当時はまだ珍しいほうの部類だった[[ベネトン・フォーミュラ|ベネトン]]型の、フロントウイングを吊り下げるノーズを持つ特徴的なマシン(ノーズだけでなく全体的にベネトンに酷似)ではあったが、そもそもの設計が3年前のシャシーとイルモアのパワーのない型落ちエンジンでは予選通過もままならなかった。2台そろって決勝に出場したのは[[カール・ヴェンドリンガー]]のクラッシュで[[ザウバー]]が欠場した[[モナコグランプリ|モナコGP]]と[[シムテック]]の[[アンドレア・モンテルミニ]]がクラッシュした[[スペイングランプリ|スペインGP]]のみという惨状であった。ベルモンドが予選を通過したのはこの2回だけ、ガショーも決勝進出は5回で終わった。第7戦[[フランスグランプリ|フランスGP]]以降は、資金難でマシン開発が停止した影響で2台とも予選通過できず、結局完走はなしという散々なシーズンとなった。特にポール・ベルモンドは予選で常にガショーの2~3秒落ちとシーズンを通して圧倒的な遅さを露呈し、『動くシケイン』と化し、[[1992年]]以来の参戦に「何故F1に復帰したのか」という純粋な疑問を残した。
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[[bg:Пасифик Ф1]]
[[de:Pacific Racing]]
[[en:Pacific Racing]]