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2009年8月16日 (日) 14:10時点における版
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2009年8月21日 (金) 05:02時点における版
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11行目:
== エピソード ==
東條内閣末期の1944年7月、四方は密に東條倒閣運動に加わっていた[[岸信介
]][[商工大臣
]]の下を訪れ、軍刀を立てながら『東條総理大臣が右向け右、左向け左と言えば、閣僚はそれに従うべきではないか! それを総理の意見に反対するとは何事か!」と一喝した。岸はそれでも怯まず『黙れ兵隊!お前のようなことを言う者がいるから、東條さんはこの頃評判が悪いのだ。日本において右向け右、左向け左という力をもっているのは天皇陛下だけではないか。それを東條さん本人が言うのならともかく、お前たちのようなわけのわからない兵隊が言うとは何事だ、下がれ!』と逆に言い返し、四方が『覚えておれ』とだけ言ってその場は立ち去ったという有名な逸話がある<ref>岸信介、[[矢次一夫]]、[[伊藤隆]]『岸信介の回想』1981([[文藝春秋]])</ref>。
== 脚注==