「国家と革命」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 詳細を追加。
m →‎概要: dab 2月革命 (1917年)|
3行目:
 
==概要==
[[1870年]]に生まれたレーニンは[[1917年]]に勃発した[[2月革命 (1917年)|二月革命]]を契機にロシアの[[社会主義]][[革命]]の運動を本格的に指導するようになる。本書『国家と革命』は二月革命後の[[ボリシェヴィキ]]弾圧を逃れるために[[ペトログラード]]の郊外ラーズリフ湖畔に潜伏しながら1917年の8月から9月にかけて執筆され、[[十月革命]]の直後に第1版を発表した著作である。
 
本書の構成は
18行目:
 
なお、本書では他のレーニンの著作同様に[[メンシェヴィキ]]、[[カデット]]などの非ボリシェヴィキ団体や[[カール・カウツキー]]などの[[社会民主主義]]者、[[無政府主義]]者らに対して批判を通り越して文字通りの罵詈雑言が並べられている。
 
==実態==
この書ではプロレタリアートにより「廃絶」されるとされていた国家機構は、実際にはレーニンを中心とするボリシェヴィキ政権の独裁体制に置き換わっただけで、これまで以上に強力な抑圧装置として国民の監視・弾圧を行うこととなった。実際、レーニンは本書の中で、資産家や知識人に対して「人民の大多数が自主的に」統制を行えば、この統制は「真に普遍的・一般的・全人民的なもの」となり、「この統制を避けることはできず、身の置き所が無くなるだろう」と予言していた。