「大武郷」の版間の差分

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大武郷は古くは原住民である[[排湾族]]の居住地域であり、旧称を「巴塱衛」と称した。これは排湾族語で「棒で殴る」を意味する言葉である。排湾族が山区より[[大武渓]]河口付近に移住した際、居住に適さない沼地、湿地を避けるために地面を棒で叩いて鑑定したことから命名された。
 
日本統治時代の[[1920年]]、台湾地方改制の際に大武山に因んで「大武」と改称され<ref>水越幸一 「市郡の區域稱呼其所在地並街庄の稱呼等に就て」『臺灣時報』第十六號、大正九年、一四三頁。</ref>、[[1937年]]には大武庄を設置、台東庁台東郡の管轄とした。戦後は台東県大武郷と改編され、[[1946年]]い山間部を[[達仁郷]]として分割し現在に至っている。
 
== 経済 ==
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*北隆宮
*七娘宮
 
==出典==
<references />
 
== 外部リンク ==