「源有光」の版間の差分

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当初、石川荘の泉郷(いずみごう)の南、川辺(かわべ)にあった'''保源城'''へ住した。
 
泉郷は、阿武隈川を挟んだ西側が古代の[[東山道]]が通じ賑わっていた三条目(三城目)郷であり、賑わった土地である事からこの地を本拠地と定めた。しかし保源城は三方を急勾配に囲まれた山頂にあり、守るに堅牢な城ではあったが、水・交通の便が悪く政務・居住には不向きであった。その為、南に2キロ程の中野の地に'''藤田城'''を築くが、ここも何某か不便があり本拠とは成らなかった。
 
*伝承によれば、「有光は八幡神に日夜祈りを奉げてより適した場所を探していると、蘆が三本生えるところに清水が湧き出している夢を見た。翌日、南へ向かい高台に登ると、石川郷の空に舞う鶴が、くわえていた松の小枝を落として去るのが見え、その場所を調べると夢に見たとおり蘆が三本生えており、試しに掘れば泉が湧き出すのであった。ここに城を築き、[[三芦城|三蘆城]]と名付け移った。」とある。
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== 系譜 ==
 
石川有光┳[[大寺光祐|光祐]](従五位下遠江守)━川尻光家┳光盛(光家の子孫が、蒲田氏や赤坂氏とみられている)
    ┣[[源光平|光平]](従五位下[[蔵人]])━重光   ┗大寺光治