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== 概要 ==
=== 高等中学校の創設 ===
[[1886年]]([[明治]]19年)3月2日の[[帝国大学令]]に続き、同年4月10日[[中学校令]]が公布された。これに基づき全国を五区に分けて、各区に一校ずつ2年制の官立高等中学校を設置することとした。このほか、旧[[長州藩|長州]]・[[薩摩藩|薩摩]]両藩主家などの財政的バックアップにより[[山口高等学校 (旧制)|山口]]および[[第七高等学校 (旧制)|鹿児島]]にも開設された。高等中学校は本科と専門科とに分かれていた。
====本科====
本科は、東京の[[帝国大学]]に進学する者のための予備教育を目的としたものである。修業年限は2年(10月入学、7月卒業)で、外国語教育が重点的に行われた。帝国大学各分科大学の区分に対応して、第一部(法・文)、第二部(工・理・農)、第三部(医)に分かれていた。ただし、第三部は東京の旧大学予備門を引き継いだ第一高等中学校のみに置かれた。
====専門科====
医学・法学・工学などの分野で、地方の地域社会が必要とした上級専門家・上級実務指導者を養成する目的で設けられた。本科と同じく10月入学、7月卒業で、年限は医学部医学科が4年、法学部、工学部および医学部薬学科が3年である。医学部は5校すべてに設置されたが、法学部は三高のみに置かれた。
 
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!設立!!本部所在地!![[高等中学校]]!![[旧制高等学校]]!![[新制大学]](1949年[[学制改革]])
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中学校令の公布とともに、[[東京大学予備門]]は廃止され、新設の各高等中学校がその役割の一部を受け継ぐことになった。[[1886年]]([[明治]]19年)、東京大学予備門を第一高等中学校に、大阪の大学分校を第三高等中学校に、さらに山口中学校を山口高等中学校に改めたのに続き、翌[[1887年]]([[明治]]20年)には、第二高等中学校(仙台)・第四高等中学校(金沢)・第五高等中学校(熊本)・鹿児島高等中学造士館が相次いで設立された。この結果、全国に文部大臣の管理に属する七校の官立高等中学校が開設されたが、前述の通り、設立の順番は、学区を示すナンバーとは必ずしも一致しない。
 
[[1887年]]([[明治]]20年)の告示により、第一~第五の各高等中学校には、専門教育を目的とした[[医学部]]、また第三には[[法学部]]、第三と第五に[[工学部]]が設置されることとなった。なお、第一・第三・第五の各校医学部は、其々の本部とは異なる場所、即ち千葉・岡山・長崎に開設された。
 
各高等中学校のうち、山口、金沢(第四)、鹿児島の本部(本科)、および岡山(第三)、仙台(第二)、金沢(第四)の医学部は、旧[[藩校]] (山口[[明倫館]]、金沢[[明倫堂]])、鹿児島[[造士館]]や、藩医学校(岡山医学館、仙台[[明倫養賢堂]]、 金沢医学館)の流れを汲むものであった。これらの旧藩校の後進諸校は、その後(改組・中絶・再興等を経て)大学にまで発展することになる。なお、「中学校令」により、7校の官立高等中学校が設立された一方、それまでの府県立中学校の殆どは5年制の尋常中学校とされた。尋常中学校に止められたその他の旧藩校は、現在では新制高等学校として存続しているものが大半である。