「民主党 (韓国 1991-1995)」の版間の差分

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{{Otheruseslist|民主党 (韓国 1991)|第一共和国~第三共和国における保守野党である民主党|民主党 (韓国 1955)|[[盧泰愚]]政権(1988年~1993年)時代の1990年~1991年に存在した保守政党である民主党|民主党 (韓国 19551990)|金大中政権(1998年~2003年)与党である[[新千年民主党]]が2005年に党名改称して発足した民主党|民主党 (韓国 19902005)|[[李明博]]政権(2008年~)における第一野党である民主党|民主党 (韓国 19902008)}}
{{韓国の事物|
title=民主党|
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== 概要 ==
[[1990年]][[2月]]に当時の[[盧泰愚]]政権の[[与党]]である[[民主正義党]]と野党の[[統一民主党]](元民主党)・[[新民主共和党]]の3党が合同して[[国会 (大韓民国)|国会]]の4分3を優に超える巨大与党の「[[民主自由党]]」(民自党)が発足して以降、当時の第1野党である平和民主党(平民党)と3党合同に参加しなかった元民主党議員と無所属議員<ref>[[1987年]][[12月]]の[[1987年大韓民国大統領選挙|大統領選挙]]において[[金泳三]]と金大中候補の単一化(一本化)を求めて所属政党から離党した議員で「署名派」と呼ばれていた。</ref>が同年6月に結成された第2野党の民主党との間で野党勢力統合に向けた動きが進められ、一度は統合新党を作ることで合意に達していたが、民主党側が[[金大中]]平民党総裁の第1線からの後退(政界引退)を強く主張したため、実現しなかった。しかし、[[1991年|91年]]6月に行なわれた主要都市や道の議員を選ぶ広域議会議員選挙で民自党が圧勝し、新民党と民主党がともに敗北したことに両党は危機を強め、[[9月10日]]に両党の統合を宣言。同月16日に新民党総裁の[[金大中]]と民主党の[[李基澤]]総裁を共同代表とする「'''民主党'''」が改めて結成された。但し、旧・民主党の朴燦鐘と金光一議員は統合に反対して新・民主党への参加を拒否した。
 
翌[[1992年|92年]][[3月]]の[[第14代総選挙 (大韓民国)|第14代総選挙]]で97議席を獲得し、躍進を果たしたが、同年12月の[[1992年大韓民国大統領選挙|大統領選挙]]では、金大中候補は民自党の[[金泳三]]候補に大差で敗れた。そのため、金大中は李基沢に代表の座を譲って政界引退を表明した。しかし、[[1995年]][[9月]]に政界復帰し、民主党内の自分を支持する議員(東橋洞系<ref>金大中派の別称で、金大中の自宅所在地が東橋洞であるため、名付けられた。</ref>)を基盤に「'''[[新政治国民会議]]'''」(国民会議)を結成した。金大中が国民会議を結成したことで最大野党の座から転落した民主党は、市民団体が中心となって結成された「改革新党」と統合して「'''統合民主党'''」を同年12月に結成した。→「[[統合民主党 (1995)]]」
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=== 大統領選挙 ===