「マクシミヌス・ダイア」の版間の差分
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[[308年]]、[[リキニウス]]帝が[[アウグストゥス (称号)|正帝]]となった後、マクシミヌス・ダイアと[[コンスタンティヌス1世|コンスタンティヌス]]はどちらも "filii Augustorum"(正帝の息子)を名乗った。そしてマクシミヌスは、[[310年]]の[[サーサーン朝]][[ペルシア]]との戦役から後は、はっきり正帝として振舞ったと思われる。
[[311年]]
キリスト教の史料においてマクシミヌス・ダイアは、ガレリウス帝が解除したキリスト教徒の迫害令を再び執行したとのことで悪く記述されているが、客観的な記載ではない可能性がある。
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