「オルホン渓谷」の版間の差分

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この石柱の北方約40キロメートル(約25[[マイル]])には、聖なる森に覆われた山エチュケン ([[:en:Ötüken|Ötüken]]) のすぐ近くに、オルド(Ördü, 遊牧民の拠点)があった。[[契丹]](きったん、キタン)人がこの渓谷を支配していたときには、石柱は契丹の権力者の偉業を記録しておくために、3つの言語で刻み直された。
 
山々は[[テングリ]]崇拝における世界の枢軸として神聖視されていたが、わけてもエチュケンは特別視されていた。それは、この山に可汗の祖霊が宿っていると信じられていたからである。加えて、エチュケンからはクット (qut) と呼ばれる霊力が発していて、それが可汗に[[テュルク]]を支配する神権を与えていると信じられていた<ref>Franke, Herbert. ''The Cambridge History of China''. Cambridge University Press, 1994. ISBN 05212144750-521-21447-5. Page 347.</ref>。ゆえにこの渓谷を制する者はテュルクの支配者たることを天から認められたと見なされ、集団を統率することが出来たのである。
 
従って、オルホン渓谷を支配することはテュルクのどの集団にとって戦略的最重要項目に属し、歴史上、突厥もモンゴル人も拠点をこの地に置いたのである。
== 遺跡 ==
オルホン渓谷の主要なモニュメントは以下の通り。
[[Imageファイル:Kyzyl_orkhon_inscription.jpg|thumb|オルホン碑文]]
* [[オルホン碑文]]
*: 8世紀初頭のビルゲ・ハンからクル・ティギン (闕特勒:[[:en:Kul Tigin|Kul Tigin]]) までの[[突厥文字]]による記録。明らかに突厥のモニュメントの中で最も際立ったものである。1889年から1893年にかけて、ロシアの[[考古学]]者たちが発見し、解読した。
{{世界遺産基準|2|3|4}}
 
== 出典 ==
<references />
 
[[lt:Orchono slėnis]]
[[mn:Орхоны хөндийн соёлын дурсгал]]
[[nl:Orhun Vallei]]
[[pt:Paisagem Cultural do Vale de Orkhon]]
[[ru:Культурный ландшафт долины реки Орхон]]
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