「摩阿姫」の版間の差分

その時に摩阿が詠んだ和歌。「あかず見む幾春ごとに咲きそふる 深雪の山の花のさかりを」
この後、彼女は病気を理由に、秀吉の側室を辞した。
その後は[[公家]]の[[万里小路充房]]の元に嫁ぐ。[[前田利忠]]を産むが、充房とは離婚した。
その後は利忠を連れて[[金沢]]に帰り、慶長10年([[1605年]])の10月13日に死去。墓所は[[京都市]][[北区 (京都市)|北区]][[大徳寺]][[芳春院 (京都市)|芳春院]]。
息子の利忠は[[前田藩]]に仕えた。
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