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== 大鼓方 ==
[[大鼓]]方観世流(旧名・宝生錬三郎派)は初め観世流座付、後に宝生座座付の大鼓方。
流祖は小鼓方観世流三世・又次郎重次の長男・勝次郎重政(~[[1631年]])。後に小鼓方観世流四世を継いだ弟の新九郎豊勝との「[[道成寺]]」共演の記録も残っている。後、二世彦三郎元貞、三世庄次郎一貞と続くが、一貞に後継がなく一度中断した。
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後に観世流小鼓家は観世座に復帰が許され、姓も観世に戻したが、大鼓家は宝生座にとどまり、以後幕末まで宝生姓であった。流勢はあまりふるわず、維新時の家元・八世錬三郎恭寛は維新後の動静が分からない。豊後竹田出身の加藤八百作(~[[1919年]])がその芸系を継承したが、その後継である守家金十郎父子のみが、昭和に活動した玄人であった。
以上のような事情により、維新後は長らく一流と認められず、「大鼓方宝生錬三郎派」とされてきたが、岡山の守家金十郎らの運動により、[[1986年]]に観世流として認められた。現在は金十郎の孫・[[守家由訓]]が宗家代理をつとめる。[[能楽協会]]に登録された役者は、[[2009年]]の時点で2人。京阪を主要な地盤とする。▼
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== 太鼓方 ==
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