「マッチェム」の版間の差分

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{{競走馬|
画 = [[Image:Matchem.jpg|240px|center]]<span style="font-size:small">マッチェムの肖像 by George Stubbs</span>|
説 = マッチェムの肖像 by George Stubbs|
名 = マッチェム|
性 = [[牡馬|牡]]|
色 = [[馬の毛色#鹿毛|鹿毛]]|
英 = {{lang|en|Matchem}}|
種 = [[サラブレッド]]|
生 = [[1748年]]|
金 = 不明|
}}
'''マッチェム'''(''{{lang|en|Matchem''}}、[[1748年]] - [[1781年]])は[[18世紀]]の[[イギリス]]の[[競走馬]]。[[18世紀]]の競走馬・[[種牡馬]]で、まだ[[サラブレッド]]の概念が完全には確立していない時代の名馬である。父方直系子孫は現在でも残存し、[[エクリプス (競走馬)|エクリプス]]、[[ヘロド (競走馬)|ヘロド]]と並びサラブレッド[[三大始祖]]の一頭に数えられる。この3頭の中では最も早く生まれた。(*注:<ref>マッチェムとほぼ同様の意味で、その2代父[[ゴドルフィンアラビアン]]を三大始祖と呼ぶこと場合も多い。</ref>の一頭に数えられる。この3頭の中では最も早く生まれた。
 
== 生涯 ==
[[イギリス]]でジョン・ホームズによって生産された。成長が遅く、体高(肩までの高さ)も15.1[[ハンド (単位)|ハンド]](約153.4cm4[[センチメートル|cm]]、別の記述では14.3ハンド)と当時としてもあまり大きな方ではなかった。その後ウィリアム・フェニックの手に渡ったという。
 
マッチェムは優れた競走馬、種牡馬であったが、競走馬としてのエクリプスや、種牡馬としてのヘロドほど抜きん出た存在ではなかった。現役時代を紹介すると、当時の強豪トラヤヌスが出走していた[[ニューマーケット競馬場]]の4[[マイル]](約6442[[メートル]])戦では、それを7分20秒の好タイムで破り(別者注:<ref>ただし、レースタイムが初めて正規に計られたのは1846年からであり、このタイムをそのまま信用する事は好ましくない。黎明期の競馬については[[フライングチルダーズ]]が1マイルを1分で走ったなど、誇張された逸話が伝えられているものだ)。</ref>、さらにトラヤヌス陣営が馬の体調が悪かったと主張すると、翌年4月の再戦でも再びトラヤヌスを下している。負けたレースは[[1756年]]のジョッキークラブプレート(優勝馬[[オルコックアラビアン系|スペクテイター]])と翌年の同レース競走(優勝馬ミルザ)のみで全成績は12戦10勝と伝えられ、当時のトップホースの一頭と評価されている。
 
その後12歳で引退すると、1781年に33歳で死亡するまで現役種牡馬として活躍し、ヘロドが登場するまでの間マッチェム系を主流血統として発展させた。後継種牡馬となったコンダクター、[[セントレジャーステークス]]優勝馬オランディーズ、[[オークス]]優勝馬テトータム等の名馬を輩出し、[[1772年|1772]] - [[1774年|74年]][[イギリス]][[リーディングサイアー]]を獲得している。産駒は354頭が勝ち上がり、獲得賞金は合計で15万[[UKポンド|ポンド]]に達した。(*直系子孫については[[マッチェム系]]を参照。)
 
=== 主な産駒 ===
直系子孫については[[マッチェム系]]を参照。
* アルフレッド(Alfred 1770年)
* コンダクター(Conductor 1767年) 後継種牡馬
|mmmm = Trumpet's Dam [[ファミリーナンバー|F-No.]][[4号族|4]]
}}
 
== 脚注 ==
<references />
 
{{DEFAULTSORT:まつちえむ}}