「蓑輪雅夫」の版間の差分

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*『[[高速戦隊ターボレンジャー]]』最終回は本来の『ジグザグ青春ロード』ではなく挿入歌の『DANCEときめく心』が使用されたが、これは「最終回のエンディングに合っている気がした」という[[佐藤健太]]が最終回担当の蓑輪に意見した結果である。蓑輪に佐藤が曲のテープを渡し懇願したところ、蓑輪は「考えておく」と一旦その願いを保留した。その後蓑輪は佐藤宛に年賀状をしたためたそうで、「楽しみにしておいてくれ」とだけ書き、その意見を採用したとのことである。
*『[[鳥人戦隊ジェットマン]]』の49話のロケ現場の海岸で転倒し骨折、蓑輪は急遽入院することになった。そのため、まだ撮りきれていなかった後半部のカットを病院のベッドで書き上げ、当時まだ26歳だったチーフ助監督の[[渡辺勝也]]に任せて凌いだことがある。これにより渡辺は監督として非公式デビューできることになり、翌年の正式デビューに繋がることとなった。言葉はおかしいが、蓑輪の骨折が渡辺に幸運をもたらしたという言い方もあながち間違いではない。
*1995年の『[[ブルースワット]]』最終話から1996年の『超光戦士シャンゼリオン』スタートまでおよそ1年間のブランクがあるが、この間は[[高嶋政伸]]主演の2時間ドラマ『五つの顔の変装刑事!右京警部補事件ファイルE』(監督・[[瀬川昌治]])で助監督を務めている(『[[重甲ビーファイター]]』を撮るつもりだったが、都合がつかなかった)
*演出指導としては役者に対しては厳しく当たる熱血スタイルで、[[萩野崇]]がかつて語ったところによると鉄拳制裁もあったようである。また『[[仮面ライダーBLACK RX]]』に出演していた[[小山力也]]によると、オーディションのときに蓑輪に初めて出逢ったそうで「怖そうな監督だなーという印象でしたけど、撮影が始まったら実際に怖かった」そうである。
*参加した東映キャラクター作品では最終回を担当することが多かった(10シリーズ中実に5シリーズ)。