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== 特徴 ==
成立年代は魏末から[[西晋|晋]]初の時期と考えられるが具体的には諸説ある。[[劉知幾]]は「(記載の対象とした)事績は[[曹叡|明帝]]期で止まっている。」とするが、実際はそれ以降の記事もあり、最も新しいと思われるのは『三国志』[[賈逵 (魏)|賈逵]]伝注に引く[[甘露 (魏)|甘露]]2年の記事であるため<ref>張鵬一は[[景元]]2年の記事が最も新しいとするが、この記事の存在は確認されていない。また『[[太平御覧]]』巻495には[[太安 (晋)|太安]]2年の記事があるが、さすがにこれは時代が下りすぎているとして引用誤りか後代の挿入であると考えられる。</ref>、これ以降に書が完成したか製作が中断したものと思われる。また、魏や晋の重要人物の[[諱]]を使用していることが指摘されている。<!--時期的上晋の諱を使う事に差し支えない「よく筆を'''操'''る者は十人に満たず([[曹操]]の諱)」などなど、魏の諱も使われている。-->
 
また、魚豢の他の著作として『[[典略]]』があり、魏略は典略の一部だったのではないかという説がある。『[[隋書]]』経籍志には「典略89巻」と記載されており、『[[旧唐書]]』経籍志には「魏略38巻」「典略50巻」とあることから、姚振宗は「この(隋書にある典略)89巻は、旧唐志の魏略38巻と典略50巻のことである。両書を合わせると88巻となる。もとの書籍には目録が1巻あったかもしれず、そのため1巻分多く出てきているのだ。」として、魏略はもともと典略に含まれていたと主張する。また、章宗源は「魏略はただ曹魏を記した。ゆえに書名に魏という言葉を使ったのだ。」「(典略は)記載範囲が広いうえ体裁も雑多であるのだから、魏略とは違う時代を対象として書物をなしたのだ。」として、『魏略』は曹魏の時代を対象とした書、『典略』はそれ以前の時代を対象にした書であると主張する。
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==倭について==
 
魏略には、[[邪馬台国]]時代の[[倭国]]に関する記述が多く残っていることから、邪馬台国論争に熱をあげる研究者たちの注目を浴びている。倭国に関する逸文が残っているのは、『三国志』裴注、『[[漢書]]』師古注、『[[翰苑]]』、『[[北戸録]]』、『[[魏書]]』、『[[法苑珠林]]』などである。
 
そのうち『三国志』東夷伝倭人条に引く逸文では、「[[倭]]」について、