「山形五堰」の版間の差分

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山形市街地を網の目のように流れているのが特徴。全長115km、笹堰・御殿堰・八ケ郷堰・宮町堰・双月堰の5つの堰がある。
 
[[1624年]]、[[山形藩]]主[[鳥居忠政]]が城への水の供給と農業・生活用水の確保のため、大雨のたびに洪水を起こす[[馬見ヶ崎川]]の流路を変更する工事に伴い馬見ヶ崎川に5ヶ所の取水口を設けたことが始まり。完成時取水口は堰と名付けられ、このことから[[疏水]]ではなく堰とつけられたと言われる。
明治初期に入ると山形五堰は農業用水、生活用水はもちろんのこと、水車を利用した製粉業・精米業や、養鯉・染物・鰻問屋など様々な産業にも活用された。
[[高度経済成長期]]に入ると生活排水・工業排水の流入により水質の悪化が急速に進んだ。また、このことから利便性が重視され,石積み水路からコンクリート水路に改修された。