「童子切」の版間の差分

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'''童子切'''(どうじぎり)は、[[日本]]の[[国宝]]に指定されている[[日本刀]]。'''童子切安綱'''(どうじぎりやすつな)とも呼ばれる。[[天下五剣]]の一つで、[[大包平]]と並んで最も優れた名刀とされている。現在は[[東京国立博物館]]の所蔵品となっている。刃長79.9cm、反り2.7cm
 
== 概要 ==
刃長79.9cm、反り2.7cm。[[平安時代]]の[[刀工]][[安綱|大原安綱]]の作であるとされる。
[[平安時代]]の[[刀工]][[安綱|大原安綱]]の作であるとされる。[[清和源氏]]の嫡流である[[源頼光]]は、[[丹波国]][[大江山]]に住み着いた鬼、[[酒呑童子]]の首をこの刀で切り落としたという。童子切の名前はこの伝説に由来する。この他にも様々な逸話が伝わる。後に[[足利将軍家]]から[[豊臣秀吉]]、[[徳川家康]]、[[徳川秀忠|同秀忠]]、[[松平忠直]](秀忠娘婿)に継承され、[[越前松平家]]の[[高田藩]]から[[津山藩]]に継承された。津山松平家では、この童子切と[[稲葉郷]]、[[石田正宗]]の3振の名刀を家宝として伝えた。
 
切れ味に関しては、[[江戸時代]]に町田長太夫という試し切りの達人が、6人の罪人の死体を積み重ねて童子切安綱を振り下ろすと、六つの死体を切断しただけではなく、刃が土台まで達した、という逸話が残っている。
 
[[昭和]]21年([[1946年]])、津山松平家より刀剣商に売却され、紆余曲折の末、国の所有となり東京国立博物館に所蔵されている。
 
尚、刀身と共に金梨地鞘糸巻拵えの[[陣太刀]]様式の外装が現存しているが、この拵えは江戸時代に製作されたものであり、作刀当初のものとは異なる。
 
作刀当初に収められていた拵えがどのようなものであったのかは判然としていない。
 
==伝来==
[[清和源氏]]の嫡流である[[源頼光]]は、[[丹波国]][[大江山]]に住み着いた鬼、[[酒呑童子]]の首をこの刀で切り落としたという。「'''童子切'''」の名前はこの伝説に由来する。この他にも様々な逸話が伝わっている
 
[[平安時代]]の[[刀工]][[安綱|大原安綱]]の作であるとされる。[[清和源氏]]の嫡流である[[源頼光]]は、[[丹波国]][[大江山]]に住み着いた鬼、[[酒呑童子]]の首をこの刀で切り落としたという。童子切の名前はこの伝説に由来する。この他にも様々な逸話が伝わる。後に[[足利将軍家]]から[[豊臣秀吉]]、[[徳川家康]]、[[徳川秀忠|同秀忠]]、[[松平忠直]](秀忠娘婿)に継承され、[[越前松平家]]の[[高田藩]]から[[津山藩]]に継承された。津山松平家では、この童子切と[[稲葉郷]]、[[石田正宗]]の3振の名刀を家宝として伝えた。
 
[[昭和]]21年([[1946年]])、津山松平家より刀剣商に売却され、紆余曲折の末国の所有となり、現在は[[東京国立博物館]]に所蔵されている。
 
れ味に関して、[[江戸時代]]に町田長太夫という試し切りの達人が、6人の罪人の死体を積み重ねて童子切安綱を振り下ろしたころ、六つの死体を切断しただけではなく、刃が土台まで達した、という逸話が残っている。
 
== 関連項目 ==
* [[日本刀一覧]]
*[[天下五剣]]
 
== 外部リンク ==